各界の第⼀線で「未知なる領域」に挑み続ける方々の思考を紐解くインタビュー連載『挑戦の人間学』。結果だけではなく、そこに⾄るまでの葛藤や、⾔葉にできない過程に光を当てます。
今回ご登場いただいたのは、声優・ナレーターとして第一線を走り続ける山下誠一郎さん。
バラエティ番組出演やMCなどマルチなスキルが求められるようになった現代の声優業界を振り返りながら、デビュー直後に直面した挫折や、自分自身を肯定するための仕事論、そして表現の本質である「うまい」と「すごい」の境界線までお伺いしました。
プロフィール
山下 誠一郎(やました せいいちろう)

広島県出身。声優、ナレーター。出演作に「陰の実力者になりたくて!」(シド・カゲノー / シャドウ/ 影野ミノル)、 「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」(エグザべ・オリベ)、「刀剣乱舞」シリーズ(薬研藤四郎/愛染国俊)、「カナン様はあくまでチョロい」(供犠羊司)、「この会社に好きな人がいます」(立石真直)など。
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マルチ化する声優業界のなかで。デビュー直後に経験した挫折
——山下さんが声優業界に飛び込まれてから13年が経ちますが、その間、声優という仕事を取り巻く環境や求められる役割は大きく変わってきたのではないかと思います。山下さんはこの業界の現在地をどのように感じられていますか?
まだまだ未熟者なので、語るにはあまりにも重たいものであることを自覚しながらお話ししたいのですが……。日々、声優という職業が与える影響力が変化していることを感じています。
「声優」という仕事は、ラジオドラマや舞台などで活躍されていた方々が海外映画の吹き替えをするところから始まっているようです。
テレビの普及やアニメーションの放送を通して声優という仕事も確立され、第○次声優ブームといった流行も何度かあったりと、「声だけで演じる」ことが特殊だったところから始まり、時代とともに職人的な専門職という立ち位置になったのではと考えています。そうして今度は、「声優」に「タレント的な要素」が含まれるようになった。それが現在の声優業界なのではないかな、と思うんです。
MCやバラエティ、グラビアと活躍の幅を広げている方もいれば、テレビドラマや映画でもお芝居をする方もいる。「俳優」から派生して生まれた「声優」に、今度は別の職業の要素が組み込まれているように感じます。

——山下さんは、その流れをどのように受け止めていらっしゃいますか。
僕がデビュー直後のときには同世代の声優が多くいらっしゃって、それぞれがどんどん活躍し始めている “台風の目”のなかに放り込まれたような感覚がありました。幸運なことに、デビューして早々にアニメの主演やレギュラーのお仕事もいただいていたのですが……。正直にいうと、もともと俳優志望で「芝居をしたい」と考えていたこともあり、声優の 声優“以外”のお仕事などに戸惑いがありました。
特に大変だったのが、バラエティです。デビューしてすぐの頃、「周りの人たちはなんでこんなに面白いことが言えるんだろう」と、まるで芸人さんのような心の折れ方をして……。お芝居に関してはこれまで一度もやめようと思ったことはないのですが、バラエティに関しては「そもそも才能がない」「打開策すら浮かばない」というところまで落ち込んでしまいました。
もちろんお仕事をいただけること自体はありがたいことですし、「苦手だとわかっているんだったらできるようになるまで打ち込むべき」という意見もあると思います。ですが、それでも心のどこかで「これがしたくてやっているわけじゃない」という想いがあったのは確かです。
そうして悩み抜いた結果、「そもそも、自分って何者なんだ?」という問いにたどり着きました。
SNS社会における他人の評価とどう距離を置くか。自分自身と向き合う大切さ
——そのような問いを抱えているなかでも、目の前には仕事がありますよね。山下さんはどのように向き合ってきたのでしょうか。
僕の場合は、「諦めること」でした。周りの人が面白いことを言っているなかで無理して食い込もうとしなくていいと、自分で認めること。「上手く言おうとすることをやめよう」と一度手放すこと……。そうするようになってから、少し気持ちが楽になったんですよね。
僕たちはつい、自分ごととなると外の世界からハードルをくっつけがちだなと思うんです。「苦手なことは補うべき」「オールラウンドであるべき」と、外側の「当たり前」を軸に自らに重荷を課してしまう。それは、声優に限らずあらゆる業界で起きていることだなと思っています。

——山下さんは「無理に食い込もうとしない」と手放すことで楽になられたとのことですが、そうした「こうあるべき」というプレッシャーは、SNSが身近になった現代でより強まっているようにも感じます。
私自身もその恩恵を受けている一方で、他人の目が常に可視化される社会だからこそ「自分と向き合うこと」の難しさが増している気がして……。山下さんは、外側の評価とどのように距離をとっていらっしゃるのでしょうか?
もともと「何者か」になりたかった人間なので、その苦しみがよくわかります。SNSに関しては、もちろん大切なツールではありますが、そこでの評価は“指を動かしている自分自身”の価値ではないという、少し距離をおいた付き合い方をしていて。シンプルにお腹が減ったり、眠くなったりするという自分自身の“人間的な生活”を大事にしないといけないな、と思っています。
——身体的な感覚や、そこで生まれる実感のようなものを大切にされているのですね。
……と言いつつ、これも20代の頃に悩みながら、傷つきながら、そしてそのケアをしながら学んできたことなんですけどね。僕はよく、自分や他者を「玉ねぎの皮」に例えるようにしています。
——「玉ねぎの皮」、ですか?
はい。外側の皮がスキルや付加価値といった後天的に自分が掴み取ったもの、そして他者から見た自分のようなイメージで、 皮を剥き切った芯の部分にはシンプルな自分そのものがいるんじゃないかと考えているんです。
皮を剥き切ったあとのシンプルな自分を捉えると、「生きているだけで偉い」と思えるし、「しかも仕事をしていて偉い」「声優業をやれていて偉い」とあらゆることがプラスに思える。なのに僕たちはついそのことを忘れてしまって自分を責めてしまうのではないかな、と。
「何者か」と問われたときに自信を持って「声優」と答える。自分を肯定するための「スキル」と「実力」

——玉ねぎのお話、とても響きました。同時に、今の山下さんのお話は「芯」の部分——ひとりの人間としての在り方——が土台にあってこそのものなのではないかとも感じました。
SNS社会においては「何者か」であることを名乗れてしまうし、きっかけも自分で作れてしまいますよね。そのことを素晴らしいとも思うのですが、そこに「芯」がなければブレが出てしまう。その結果、周りの評価にすべてを委ねてしまう危険性もあるのではないか、とも思うんです。山下さんがどのように「生き方」と向き合ってきたのか、気になりました。
まさに僕も「何者なのかと問われたときに、それを形で示せる“軸”がないといけないな」と考えて生きてきました。
お話を聞いて思い出したのが、アニメ『あかね噺』に出演するにあたって、テーマである落語を習ったときに教わった「仁(ニン)」という言葉です。
——「仁(ニン)」、ですか?
「仁」はその人が生まれ持った性質や個性・芸風などを指す言葉です。落語では「自分はどう在るのか」「自分が表現する意味」というところが重要らしく、声優業においてもその考え方が通じるな、と思いました。
声優業は、「仁」が“声”に乗る仕事です。すべてがその人の個性や味になるから「みんながみんな同じ声でなくてもいい」「型にハマった同じ芝居じゃなくていい」といえるし、実際にそう思ってもいます。
ですが僕たちは、その「仁」を大事にしながら、自分とかけ離れた違う役も演じなければいけないのも事実です。作品によって大切にするべきポイントも変われば、昨日の現場でOKだったことが今日の現場ではNGになる、といったこともある。 そこで必要なのが「スキル」や「実力」だと、僕は思っています。

タレント業やトーク業といった声優業から派生した仕事をしていても、立ち返って「あなたは声優なんですよね」と問われたときに、「声優としての実力」という「芯」がなければならない。厳しい言葉のように思えるかもしれないけれど、同時にそれは、僕への慰めやある種の逃げ道でもあるんです。
「バラエティできひん」「全然おもろいこと言えない」と落ち込んでも、「でもいいんだ。だって、声優なんだから」と自分を肯定するためにも、声優という「芯」と、それを確かなものとする「実力」を大切にしようと掲げて生きてきました。
セオリーの「うまい」と、感性を揺さぶる「すごい」。プロを分ける境界線
——自分を肯定するための「芯」として声優という仕事に向き合ってこられたのですね。声優としてキャリアを重ねるなかで感じる、山下さんにとっての仕事論のようなものはありますか。
僕の立場で語るのはおこがましいかなと思いつつ……。「演じる」にあたっても「うまい」と「すごい」というふたつの評価軸の間をたゆたっているような感覚があります。
——そのお話について、もう少し詳しくお聞きしたいです。
まず、声優の芝居には、ある程度のセオリーがあると思っていて。たとえば、アニメを観たときにセリフを聞いた視聴者が「ん?」と引っかからないことが重要です。違和感なく聞いてもらえる芝居をすることが「声優」として求められるスキルの第一段階としてあり、それは「うまい」の領域なのではないかなと思います。
そして、そういったセオリーとは別に「この芝居がとっても良かった」「このシーンが心に響いた」 と感じてもらえることで得られるのが「すごい」という評価です。ただそれは、単に「うまい」だけでは到達できない領域だったりもするし、受け取る人たちの感性に委ねる部分も大きかったりするので、狙おうとして狙えるわけではないんですよね。
たとえばピカソの「ゲルニカ」に対していろんな感想を持つような……。「ぱっと見で『うまい』かは分からない、でもすごく引き込まれる」といった感情が近いのかな、と。ですがピカソはあの独特なタッチだけではなく、誰が見ても「うまい」と感じるような絵も描ける。美術の地力がある上で、キュビズムやさまざまな画風に取り組んで「すごい」の領域でも魅了しているところが素敵だなと思います。

——「うまい」というセオリーの基準を満たすことと、「すごい」という領域に踏み込むこと。プロフェッショナルとして、その違いや境界線はどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。
僕たちは基本的にオーディションを通して役が決まるのですが、アニメに出てくるキャラクターとして成立させるという「うまい」の部分については、オーディションに受かろうが落ちようが「できなければならないもの」として捉えています。
極端なことをいえば、オーディションによって配役されたキャラクターたちを声優全員でシャッフルしたとしても、男性・女性キャラという点は除いて、「セオリーを外すことなく演じること」ができなければいけません。
ですが「すごい」という領域は、それさえも超えてしまうものだとも思っています。収録中にいろんな人のお芝居をみていると、「きっと自分がその役を演じることはできるんだろうけど、この人になった理由がわかる」と感じる瞬間があるんです。そのとき僕は「仁」を感じるし、「すごいな」と影響を受けます。
中学校の文化祭で知った「状況」の面白さ。俯瞰するなかで描く自分の未来
——実力やスキルを磨きながらも、「すごい」の領域では受け取る側の感性にも身を委ねる。そのバランスが面白いなと思いました。そもそも、山下さんの「演じること」という挑戦に踏み込んだ原点はどこにあったのでしょうか。
俳優になりたいと思ったきっかけは、中学校の文化祭です。一学年全体で演劇をつくるという少し変わったコンセプトで、絵が得意な子は美術班、手先が器用な子は衣装班……と自然と役割分担が生まれていました。そのなかで僕は、何者でもない——スキルに秀でていない存在だったんです。
たまたま「役者班が足りないから」という理由で舞台に立つことになったのですが、演じてみたら、それがもう本当に楽しくて楽しくて……。
その楽しさは、演じることそのものや「自分ではない誰かになれる」といった楽しさとはまた違っていて。「たくさんの人に見られているなかで非日常的なセリフを言う」といった、その「状況」自体が面白いな、と思ったんです。

——「状況」の面白さ……。とても興味深いです。
大人になって、演劇を観るときにも同じような面白さを感じています。
そもそも、同じ人間同士が、同じ空間にいて「演者」と「観客」といった役割が自然と生まれてしまうこと。それぞれの役割のなかで、空間を乱さずにともに世界観を作り上げること……。そんな「状況」そのものに興味があるんです。
僕も演劇を観に行ったときには、笑って良さそうなシーンであれば笑いますし、全力で拍手もします。そうやって一緒に空間を作り上げることって、楽しいですよね。
——お話を伺っていると、ご自身を俯瞰して見ていらっしゃるのかなと思います。ですが演じるにあたっては、自分自身の内側と向き合った上で生まれる「芯」も大切になる。主観と客観の往復が、いまの山下さんを作り上げているのかもしれないですね。
きっと、ふと冷静に一歩引いて見る癖があるんだと思います。その分「ひとりの人間である山下誠一郎として」と「声優としての山下誠一郎」の生き方を使い分けることも大切にしていて……。
たとえば、街中で歩いているときに怒っている人を見かけたとします。そのとき、ひとりの人間である山下誠一郎としては「ああ、何か嫌なことあったのかな」「どうしたのかな」と優しく受け止められるんです。
それは実生活を生きる上で「起こることに対してフラットでいよう」という姿勢を大切にしているからなのですが、芝居となると話は別。ときには「怒っている自分」を出力しなければならないこともあるので、そのときは「声優として」意識的に切り替えるようにしています。
「あの人はなぜ怒っているのだろう? そしてどんな怒り方をしているのだろう? 声を荒げるのか、静かにブツブツ呟いているのか、身体の反応は、目線は……」と、観察でもって捉えることでそれを何とか芝居に取り込みたいと考えているんです。

そうやって「声優」と「私自身」というふたつを行き来することが、これまでの成長につながってきたと実感しています。何者でもなかった自分が“何者か”になれたという実感もあるし、しかしその肩書きに執着せず自分自身と向き合い続けねばならないという痛みも伴っています。
中学校のあの舞台で「演じること」に出会ってから、ずっと模索を続けてきました。そうして「声優」としてのあり方と向き合うなかで自分にとっての「芯」を見つけ、それを育てながらこの世界が回っているような感覚があるんです。
その先にあるのは「僕が携わる作品が誰かの人生の支えや楽しみになってほしい」という想いです。僕自身もエンタメに救われてきたので、誰かにとってもそのきっかけになれたら嬉しいな、と思います。
取材・執筆:高城 つかさ
撮影:長野 竜成
撮影場所:WeWork 丸の内北口