各界の第⼀線で「未知なる領域」に挑み続ける方々の思考を紐解くインタビュー連載『挑戦の人間学』。結果だけではなく、そこに⾄るまでの葛藤や、⾔葉にできない過程に光を当てます。
今回は、声優として活動しながら、noteでの台本執筆やYouTubeでの「歌ってみた」動画の投稿、オーディオドラマの制作など、枠にとらわれない幅広い表現を展開されている加藤 渉さんにインタビューさせていただきました。
高校時代から声優事務所に所属して活動を続け、2026年4月にフリーランスへと転身。「ユーモア」を大切にしながら活動を続ける加藤さんの「挑戦」について、対話形式で考えていきます。
プロフィール
加藤 渉(かとう わたる)

声優 1997年7月17日生まれ
主な出演作『怪獣8号』(市川レノ 役)『正反対な君と僕』(平 役)『ダンジョン飯』(カブルー 役)『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』(愛城恋太郎 役)『天は赤い河のほとり』(カイル 役)
公式X:https://x.com/WaterlooCartoon
note:https://note.com/waterloo_cartoon
YouTube:https://www.youtube.com/@WaterlooCartoon
「フリーランスになったならやるっきゃない」。独立の不安を越え、新たに広がった表現の挑戦
——加藤さんは2026年4月からフリーランスとして活動されています。以降、声優という仕事のイメージにとらわれない、さまざまなモノづくりを通して表現の幅を広げていますが、独立されてからの心境の変化はいかがですか?
独立することに対する不安は強かったのですが、いざフリーランスになってみると、ポジティブな影響のほうが大きかったですね。というのも僕は、高校生の頃から声優事務所に所属していたので、いわゆる会社組織に属するような「社会人経験」がないんです。そのため「このまま生涯、声優の仕事を続けられるのだろうか」と漠然とした焦りがありました。そんななか、さまざまな事情もあって、フリーランスへ転身することになったんです。
いざ独立すると「フリーランスになったなら、もうやるっきゃない!」と腹が括れましたね。それまで触れてこなかったSNSを本格的に始めたり、請求書の発行や営業活動といった裏方作業にも取り組んだりするようになりました。
そうやって、ひとつひとつ実践を積み重ねていくうちに、noteで声優志望の方に向けてオーディション対策を記事として公開したり、夢だった「歌ってみた」動画に挑戦したりと「やりたいこと」を実現する楽しさが見えてきて、「この仕事を続けていこう」と前向きに思えるようになったんです。
——そうして広げていかれた活動において、加藤さんが大切にされている「軸」は何なのでしょうか?
一番はユーモアや“おもろさ”ですね。なんというか、僕のなかにはずっと、常にちょけていたい、ふざけていたいという欲求があるんです。
フリーランスになってから始めたnoteもそのひとつです。好きなコンテンツの紹介や、巷で話題のシャクティマットの体験レポートなど、僕自身が「面白い!」と思ったものを、読者の方にも同じように楽しんでもらいたいという想いからスタートしました。
僕のことを知って、わざわざnoteのページにたどり着いてくれた人には、笑顔で読み終わってほしい。だからこそ、noteでは文章の内容だけでなく、視覚的な読みやすさにもこだわっています。文字の大きさや太字の使い分けなど、スマホから見てもパソコンから見ても心地よく読めるよう、画面を照らし合わせながら細かく調整しているんです。
ありがたいことに多くの方に読んでいただけているのですが、最近は少し「義務感」のようなものも芽生えてしまっていて……。自分で「やりたい」と思って始めたことのはずなのに、いつの間にか「書かなきゃ」というプレッシャーとの狭間で揺れ動く感覚がありますね。

——今回のインタビューでぜひお伺いしたかったのが、多岐にわたる表現活動の根底にある「表現欲求」についてなんです。表現がそのまま仕事や生活に直結しているからこそ、「やりたいという欲求」と「やらなきゃという義務」のバランスを取るのは難しいのではないでしょうか。
そうですね。フリーランスになってからは、SNSやnoteの運用もかなり戦略的に行うようになりました。「〇月までにフォロワー〇人」「〇月までにこの企画を達成する」といった具体的なTODOリストを組んで動いているんです。
ゴールから逆算すると、「どんなタイミングで」「どんな投稿をすべきか」というタスクが明確になります。それをコツコツとこなしていけば、実際に目標を達成できる。そうした計画的なアプローチ自体は、自分に向いている進め方なのだと思います。
ですが同時に、「それは裏を返せば、計算通りに動かないと見据えていた結果は返ってこない」ということでもあるよなあ、とも感じていて……。
最初は純粋に「やりたい」と思ったことでも、数値などの目標を追うといつの間にか「結果を出さなければならない」という「義務感」につながってしまう。そこは僕が抱いていた「これをやりたい」「表現したい」という根本的な欲求とはズレている感覚がありますね。
そう考えていたときに、今回、聞き手である高城さんからお声がけいただいて「あ、おもろそう」って思えたんですよね。セレンディピティ——素敵な偶然——という言葉が浮かんだんです。

——「欲求」と「義務」ともまた違う、偶然性に導かれた出会いがこの依頼だった、と。
そうです。僕がこの連載(『挑戦の人間学』)に掲載されている記事をすべて読んで興味を惹かれたのは、取材対象者の方以上に、聞き手である高城さんご自身だったんです。
一般的なインタビューではインタビュアーの方が黒子に徹することが多いですが、この連載では高城さんとの“対話そのもの”が形になっている。「これはおもしろいぞ」と思い、お受けすることにしました。
……少し話が逸れますが、僕は大河ドラマや偉人の伝記ものが好きなんです。史実そのものというより、「人間ドラマとしてどう魅せるか」と再構築されている点に魅力を感じます。主人公が時代の変化や他者との出会いに影響を受けて変容する姿を描くなかで、人間の綺麗な部分だけでない部分も含めて、視聴者が楽しめるフィクションとして整理されているところに良さがあるのではないか、と。
さまざまな大河ドラマを観ていて気づいたのが、大河ドラマで主人公として描きやすい人物は、いろんな人や環境の影響を受ける人物——歴史的・政治的出来事を目にしてきた人たち——だということ。
この連載において、その「周囲の影響を受けて変化する主人公」の役割を果たしているのが、まさに高城さんなんじゃないかと思ったんです。だからこそ、このインタビューという対話を通じて、お互いにどんな影響を与え合えるのかを試してみたいと思いました。

セレンディピティに導かれて。“寂しさ”と“おもろさ”との葛藤のなかで続ける、加藤さんにとっての「表現」とは
——この連載ではまさに「今、この瞬間の対話から生まれる言葉」を記事に残したいと考えているんです。
記事にすることは聞き手である私の「義務」ですが、対話のなかで生まれる言葉を楽しみたいという「欲求」との狭間で模索している最中なので、そう言っていただけると嬉しいです。
僕自身、頭のなかで自分の人生を大河ドラマのように“物語化”する癖があるんです。それこそ「セレンディピティ」によって生まれた出会いから、10年前に知り合った人と急に仕事で繋がったりして、「あ、あのときの人生の伏線が回収されたな」と感じる瞬間がよくあります。
僕はよく「文化的ミーム」という言葉を使っているのですが、表現者は誰もが意識的・無意識的に過去の作品や他者から影響を受けて作品を生み出していますよね。僕たちの人生もそうで、誰もが知らず知らずのうちに誰かと繋がり、互いに影響を与え合いながら生きている。今回の高城さんとの出会いも、そのひとつなのではないかなと思いました。
——互いに影響を与え合うというお話と、先ほど伺った加藤さんの表現活動とを照らし合わせて考えると、加藤さん自身も「自分の表現を通じて、影響を与え合いたい」という欲求があるのではないか、と感じました。
noteの文章も、伝えたい本質の部分をそのままストレートに書くのではなく、少しぼかしたりユーモアを交えたりされていますよね。そうやってオブラートで包みつつも、その奥にある「言葉にしていない本当の気持ち」まで読み取って理解してくれる人をどこかで探しているのではないのかな、とか。
おお、よく分かりましたね。嬉しくて、思わず口角が上がってしまいました(笑)。
まさにその通りで、僕は自分のことを「化け物」や「動物園のライオン」みたいだなと思うことがあるんです。周囲の人や友達にも恵まれているし、多くの方に愛されている実感はたしかにある。けれどその一方で、「結局みんな、僕のことを檻の外から『面白いやつだな』と眺めているだけなんじゃないか」「ピエロになって笑わせないと、同じ空間にいてはいけないんじゃないか」と感じてしまう自分もいて。
noteの文章も台本執筆も、根底にあるのは「どうやって人を飽きさせずに惹きつけるか」という想いなんです。なぜそこまでして人の関心を惹きつけたいのかと考えると、僕はきっと、すごく寂しがりやな人間なんだと思います。だからといって誰でもいいというわけではない。どこかで本当の理解者であり、仲間になれる存在を求めているんじゃないかな、と。

——そうした「本当の自分を理解されたい」という“寂しさ”と、「読者や視聴者の方を笑わせたい」という“おもろさ”との葛藤を抱えながらも表現活動を続けること。それは、加藤さんにとってひとつの大きな“挑戦”になっているように感じます。
僕は嘘をつけない人間なんです。ですが「僕はこんな風に悩んでいて、もっと自分を分かってほしいんです!」とストレートに吐き出してしまうと、ただの“お気持ち表明”になってしまうじゃないですか。なので「嘘のない本当のこと」を、どうすれば読者に届く表現として“おもろく”昇華できるかをずっと考えているんだと思います。
あえて遠回しな表現を使ったり、ぼかしたりする手法を使うなど工夫しているのは、僕自身がこれまでアニメや小説などの娯楽に救われ、影響を受けてきたからこそ、「人には絶対に娯楽(ユーモア)が必要だ」と信じているからなのかもしれません。
——その表現の原動力は、どこから湧いてくるのでしょうか?
「現時点の自分」を結晶化させたい、という気持ちでしょうか。誰かに頼まれた仕事ではなく、純粋な自己満足として表現をしたい。そう思っています。
なかでも楽しいのが、声優仲間と取り組んでいるオーディオドラマの制作です。許諾のことなどもあるので表には出していないのですが、自分が好きな作品を僕がオーディオドラマとして台本化して、声優仲間を集めて録音して制作する、本格的な“遊び”に夢中になっていますね。
日常生活を送っていると、自分のなかにある思考や言葉が、頼んでもいないのに勝手に溢れ出してしまう瞬間があるんです。チラシの裏にボールペンで急にぶわーっと書き殴りたくなったり、自動筆記みたいに長文を書いてしまったりする……。そういう溢れ出た「衝動」を結晶化させる作業は、排泄行為に近いと思います。意図したわけではないのですが、9月に予定している個人イベントのタイトルも「加藤渉の“催し”」ですしね(笑)。
インプットとアウトプットという表現はあまり使わないようにしているのですが、皆さんも何らかの影響を受けて、自らに“溜める”時間を経たら、どこかで「結晶化」させたいという欲求が生まれてくるものなんじゃないかな。それが僕にとっては「自分を結晶化すること」や「人生を物語化すること」なのですが、きっと人それぞれ違うと思います。
尊敬する仲間と対等でいるための“信用”と“華”。「自分が主人公の物語」を紡いでいくために

——もうひとつ、表現者として切っても切り離せない「承認欲求」や「他者からの評価」についてもお聞きしたいです。
先ほどのお話を受けて、身近な人に「笑ってほしい」という想いが、加藤さんにとっての「承認欲求」だと感じました。一方で、SNS社会の現代では、表現をする=多くの目にさらされることであり、「いかにたくさんの人に認められるか」という指標が多いような気がしています。加藤さんにとってのモチベーションは、どこにあるのでしょうか?
それでいうと、僕は見知らぬ大勢というよりも、身近にいる尊敬する友人に評価してもらえることが一番嬉しいです。ただ、「評価されたいから生きる」というよりは、「どう生きるべきか」「どう生きたいか」という生き方の軸が、承認欲求よりもさらに上にある気がしていて。
そもそも、僕がやっているオーディオドラマなどの活動って、仕事ではなく「本気の大掛かりな遊び」なんですよ。制作にかかるスタジオ代などは僕が全額支払いますが、参加してくれる友人たちには出演料をお支払いできないことも多い。それでもお忙しい方々が、自分の休日に仕事でもないのに表現をしに集まってくれる。それって、僕自身への信用や「加藤が準備したこの環境なら、おもしろそうだから参加したい」と思ってもらえる場を提供できているからこそ成り立つと思うんです。
——その「信用」は、単に仲が良いというだけでは成り立たないですよね。
はい。だからこそ、声優としての仕事の実績——どれだけメインキャストを務めたか、どんな作品に出たか——も重要になってきます。それらはフォロワー数のような外的な数字ではなく、仲間と対等でいるための「プレイヤーとしての信用」なんです。
尊敬する友人たちに「こいつはしょうもない奴だな」と思われたくないし、一緒におもしろいものを作る仲間として「対等」でありたい。僕は自己肯定感が低いからこそ、仕事でちゃんと信用を蓄積して、「加藤がやるならおもしろそうだから乗った!」と言ってもらえる自分であり続けたいんだと思います。

そしてもうひとつ、僕が大切にしているのが「タレント性」です。
たとえば僕は、ラランドや令和ロマン、川谷絵音さんが好きなんですけど、実力とタレント性を持った人の周りには、「お前おもしろいな」「一緒に何かやろうぜ」と、クリエイターや仲間が自然と集まってくるじゃないですか。単なる数字だけではない、人を引きつける魅力……。それが「タレント性」、つまり「華」なんじゃないか、と。
自分が「華がある」と感じる、心から尊敬している人たちから、僕自身も「お前も華があるな、おもしろいな」と思ってもらえること。それが僕にとっての承認欲求を満たす方法なのかもしれません。そしてその先に、“理想の座組”ができたらいいなと思います。この考えは、たとえフリーランスでなくなったとしても変わりません。
——好きな仲間、尊敬する人たちと最高な「座組」をつくり、“おもろい”ことをやる。それこそが加藤さんの表現活動の根底にある想いなのですね。
そうですね。ただ、僕は綺麗事だけで終わらせたくないとも思っていて。
本当に大好きな仲間と「おもろいこと」をやり続けるために会社やチームを作ったとしても、情熱だけでは一瞬の輝きで終わってしまう。永遠なんてないけれど、大好きな仲間たちの生活を成り立たせた上で、この楽しい時間をできるだけ長く継続していくためには、どうしても「お金を回す仕組み」を考えられる力が必要なんです。
一見、収益とはかけ離れた「好きな人たちとの大掛かりな遊び」だからこそ、それを永続させるための現実的な視点も持っていたい。本当に好きな人たちと一緒に居続けるために、どうやって現実と夢のバランスを取っていくか。それも今、僕が向き合っているテーマなのだと思います。

ただ、現実的なまなざしと同時に、自分のなかに「世の中がこうあればいいな」というささやかな思想もあるんです。
それが、みんなが身近な範囲でお互いを気遣って、優しくし合える世界にしたい、ということ。こうお話しすると、小学生レベルの道徳観みたいなものなんですけど(笑)。ほんの少し想像力を働かせ合うだけで、小さなコミュニティの中のストレスや歪みはきっと減っていくんじゃないか、と思うんです。これは、日頃から大切にしていることですね。
——お話を聞いていると、加藤さんの「やりたい」には、必ず他者がいるように思うんです。そしてそれは、「自分や、自分の好きな人たちだけでいい」という個人主義的なものというよりも、まだ出会っていない誰かをも広く捉えた上での、「みんなの幸せ」を考えた言葉なのかもしれませんね。
それはまさに、人生をドラマのように捉えていて、僕はその主人公として切り拓いている意識があるからかもしれません。
生きていれば、「いつか最高の出会いや展開」にめぐり会えるかもしれない。その瞬間に、僕は自分の人生に“ドラマ”を感じるし、伏線が回収されたような感動を覚えるんです。もしかしたら、その大切な人にはもう出会っているのかもしれませんしね。
幼い頃から「自分は何か人と違うんじゃないか」とずっと思っていました。まあ、単に社会に馴染めないだけだったのかもしれませんが(笑)、周囲からはよく「君はどうにかなるよ」「なんとかなる」と言われていて。当時は「好き勝手言いやがって」と思っていましたけれど、人々の関心を引きつける何かが自分にあること自体は感じていました。
だからこそ、シンプルな問いなんです。「自分は何者かになれるのか」。
フリーランスになって、不安も抱えながら戦略的に動く自分もいれば、熱量だけで大掛かりな遊びを仕掛ける自分もいる。今年はフリーランスになるという環境の変化がありましたが、もしかすると、今後また違った変化が訪れるかもしれない。それもまた、ある種のセレンディピティかもしれないですね。
9月26日(土)加藤渉の催し『ニ度とやんねぇ』開催!

2026年9月26日(土)、S.H.P. OTOWA FAB STUDIOにて加藤渉のイベント『二度とやんねぇ』の開催が決定! チケットは即日完売でしたが、配信チケットの販売が決定しました。
【開催日時】
2026年9月26日(土)
■第1部
開場 12:00 / 開演 13:00 / 本編終了 14:30(予定)
■第2部
開場 17:00 / 開演 18:00 / 本編終了 19:30(予定)
【出演者】
加藤渉、Nakamu
【配信チケット販売URL】
https://www.zan-live.com/ja/live/detail/10918
取材・執筆:高城 つかさ
撮影:長野 竜成
撮影場所:WeWork 丸の内北口