アスリートの身体と心に寄り添い続けて。医師・教育者として学生の未来を支える、大阪体育大学 前島悦子先生

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アスリートの身体と心に寄り添い続けて。医師・教育者として学生の未来を支える、大阪体育大学 前島悦子先生

こんにちは!
ご縁を大切に、出会った人を応援し続けたい。
元気と明るさで人をつなぐ、“サポーター型”人事として発信している杉浦綾です。よろしくお願いいたします!

今回は、私の母校である大阪体育大学を訪れました。
お話を伺ったのは、大阪体育大学スポーツ科学部教授であり、大学院スポーツ科学研究科長を務める前島悦子先生です。

実は前島先生は、私が大阪体育大学に在学していた頃のゼミの先生でもあります。
卒業後も時々お会いしていましたが、先生がどのような経緯で医師を志し、なぜ大阪体育大学で働くことになったのか、詳しく聞くのは今回が初めてでした。

医師、研究者、教育者、そしてスポーツ経験者。
さまざまな立場からアスリートを見守ってきた前島先生に、スポーツ医学を志した原点や大阪体育大学で働き続ける理由、学生アスリートに伝えたいことを伺いました。

プロフィール

前島 悦子(まえしま・えつこ)

医師・医学博士。大阪体育大学スポーツ科学部教授、大学院スポーツ科学研究科長。大阪体育大学診療所内科部長、学校医も務める。

藤田保健衛生大学医学部(現・藤田医科大学)卒業後、川崎市立川崎病院で研修医として勤務。その後、和歌山県立医科大学大学院で医学博士を取得し、リウマチ・膠原病を専門とする内科医として診療・研究に従事。

2002年より大阪体育大学に着任。教育・研究活動に加え、スポーツドクターとして学生アスリートの健康管理や競技復帰を支え続けている。また、国民スポーツ大会(国スポ)本部帯同ドクターとして長年スポーツ現場にも携わる。

専門はスポーツ医学、リウマチ・膠原病学、内科学、温泉医学。

日本内科学会認定内科専門医(現 日本内科学会総合内科専門医)

日本体育協会(現・日本スポーツ協会)公認スポーツドクター、日本リウマチ学会専門医、日本温泉気候物理医学会理事・温泉療法医など、多数の資格・役職を有する。2026年には日本温泉気候物理医学会学術集会の大会長を務める予定。

学生一人ひとりの健康と成長に寄り添い続ける医師・教育者として、20年以上にわたり多くのアスリートを支え続けている。

競技経験と臨床経験、その両方を持つスポーツドクター

現在、前島先生は大阪体育大学スポーツ科学部の教授として、学生の教育や研究指導に携わっています。

さらに、大学院スポーツ科学研究科の研究科長として、大学院生の教育や研究も支えています。

大学で教えるだけではなく、医師として現在もリウマチや膠原病の患者さんを診療しています。

長年診てきた患者さんを複数の病院で引き続き診察しているため、月に一度ずつ各病院を訪れているそうです。

一つの場所で診ていた患者さんを、今は何か所かに分けて診に行っているので、前より忙しくなってしまいました

そう笑う前島先生ですが、長年関わってきた患者さんを簡単に手放すことなく、今も診療を続けています。

教育者であると同時に、現役の医師でもあること。

その両方の経験が、前島先生の学生指導にも生かされています。

ソフトテニスから競技スキーへ
自分の医師免許をスポーツに生かしたい

前島先生は、子どもの頃から身体を動かすことが大好きでした。

中学校、高校時代はソフトテニス部に所属し、大学に入学してから競技スキーを始めました。

結婚後に和歌山県代表のスキー選手として国民体育大会にも出場しました。

現在も国民スポーツ大会の和歌山県本部帯同ドクターを務めるなど、長年スポーツ現場に関わっています。

スポーツ医学を専門にしようと考えたのも、自身の競技経験がきっかけでした。

身体を動かすことが子どもの頃から大好きでした。医師になった時に、この医師の資格をスポーツの世界で生かせないかと思ったんです

自身が選手だったからこそ、選手が何を不安に思い、何を知りたいのかが分かると前島先生は話します。

選手がどんなことを知りたいのか、選手の健康管理に何が必要なのかを実感として分かることは、講義や学生指導にも役立っていると思います

医師として正しい知識を伝えるだけではなく、選手と同じ目線に立って考えること。

競技経験は、前島先生にとって学生アスリートと向き合うための大切な土台になっています。

紅白歌合戦を見ながら薬を包んだ幼少期

前島先生が医師を目指した背景には、父親の存在がありました。

父親も医師で、前島先生が幼い頃は地域の診療所に勤務し、その後は開業医として地域の患者さんを診ていました。

夜遅くまで診療を行い、必要があれば往診にも出かける父親の姿を、前島先生は幼い頃から間近で見ていました。

当時は薬を現在のようなシートで渡すのではなく、薬剤を朝・昼・晩に分けて紙に包んで患者さんに渡していました。

年末になると患者さんに渡す大量の薬を準備するため、前島先生たち兄弟も総動員で手伝ったそうです。

紅白歌合戦を見ながら、ずっと薬を包んでいました。終わらないくらい、ものすごい数だったんです

父親が医師として働くことも、家族が父親の医院を手伝うことも、前島先生にとっては日常でした。

医師になることに何の違和感もありませんでした。他の仕事を考えたことがなかったんです

医師になるよう強く言われたわけではありません。

けれど、地域の人々のために働く父親の姿と、医療が身近にある家庭環境が、自然と前島先生を医師の道へ導きました。

一日も早く、一人前の医師になりたかった

医学部卒業後、前島先生は母校には残らず、神奈川県にある川崎市立川崎病院で研修医として働き始めました。

女性だからこそ、一日も早く一人前になりたいと思っていました。とにかくたくさんの患者さんを診て、早く独り立ちしたかったんです

当時の病院は非常に忙しく、二晩、三晩と十分に眠れないこともあったといいます。

現在のように勤務時間が明確に区切られている時代ではなく、自分の患者さんの容体が悪化すれば、そのまま病院に残ることが当たり前でした。

研修医2年目には、午前中だけで多くの外来患者さんを一人で診察する日もありました。

そんな中、長年診断がつかなかった患者さんを診察し、膠原病の可能性に気づいたことがありました。

先輩医師から「よく分かったね」と褒められたことが、前島先生にとって大きな転機となります。

褒められると、木に登るじゃないですか。もしかしたら自分に向いているのかもしれないと思いました

振り返ると、医学部時代から免疫や膠原病の授業に興味を持ち、熱心にノートを取っていました。

もともと興味があった分野で臨床経験がつながり、前島先生はリウマチ・膠原病を専門にする道を選びました。

病気によって、人生を諦めてほしくない

リウマチや膠原病には、女性の患者さんが多くいます。

特に膠原病は、妊娠や出産を考える年代の女性が発症することも少なくありません。

病気そのものだけでなく、結婚、妊娠、出産、子育て、仕事、介護など、人生のさまざまな選択に病気が影響します。

病気があるから結婚を諦める、出産を諦めるという方もいました。女性のライフステージに関わることだからこそ、医師として何か役に立てないかと思いました

現在は治療法が大きく進歩していますが、前島先生が医師になった頃は、リウマチは治らない病気という印象が強くありました。

関節が変形し、寝たきりになり、感染症などによって亡くなる患者さんもいました。

そうした姿を目の前で見てきたからこそ、「何とかできないか」という思いが前島先生の原動力となりました。

患者さんが病気を抱えながらも、自分らしい人生を選択できるように支えること。

その思いは現在、学生アスリートへの支援にもつながっています。

遠回りだと思った一年が、スポーツ医学につながった

前島先生は結婚を機に、和歌山県立医科大学の大学院へ進学しました。

しかし、夫の勤務先の都合により、大学院を一年間休学し、三重県の病院で一緒に働くことになりました。

同じタイミングでスタートしたはずなのに、どうして私だけ一年遅れるのと思いました

当時は、自分だけがキャリアを止めるように感じ、納得できない気持ちもあったそうです。

しかし、その病院では循環器や消化器について学ぶ機会を得ました。

特に心臓や運動負荷試験について学んだ経験は、その後スポーツ医学に携わる上で大きく役立ちました。

スポーツ中の突然死の原因は心臓が関係することが最も多いんです。あの時に循環器を勉強できたことは、今も生きています

当時は遠回りや損失に思えた一年。

けれど振り返ると、その経験が現在の専門性を広げていました。

人生の中では、予定どおりに進まないことがあります。

しかし、その時に得た経験が、何年も経ってから別の形でつながることもあるのだと、前島先生の歩みは教えてくれます。

家庭と医師の仕事の両立に悩み、大阪体育大学へ

子どもが生まれた後も、前島先生は医師として働き続けていました。

当時は夫の両親の近くで暮らし、義父が子どもの面倒をよく見てくれていました。

しかし、その義父が脳梗塞で倒れたことで、家庭の状況は大きく変化します。

夜間の当直を続けることが難しくなり、和歌山県立医科大学の正式な職員でありながら、仕事を辞めざるを得なくなりました。

当直ができないと、他の先生に負担がかかります。自分だけ早く帰るというわけにもいきませんでした

病院を辞めた前島先生に、大阪体育大学の教員公募を見つけてきたのは夫でした。

募集条件は、内科医であることと、スポーツドクターの資格を持っていること。

スポーツ経験があり、医師として臨床も研究も続けてきた前島先生に合致する内容でした。

一般病院に勤務する選択肢もありましたが、患者さんを診ることに加え、研究も続けたいという思いから大阪体育大学への応募を決めました。

こうして前島先生は、医師としてのキャリアを諦めるのではなく、新しい場所で専門性を生かす道を選びました。

初めて知った、アスリートならではの繊細さ

大阪体育大学に着任して、前島先生が最初に驚いたこと。

それは、医学部の学生と体育大学の学生との違いでした。

医学部では一学年の人数が比較的少なかった一方、大阪体育大学では100人、200人規模の学生を相手に授業を行うこともあります。

授業中に学生が話したり、歩き回ったりする姿にも戸惑ったといいます。

一方、診療の場で一人ひとりの学生と向き合うと、授業中とは全く異なる姿が見えてきました。

もっと細かいことを気にせず、前向きな子たちだと思っていました。でも、実際はすごく繊細でした

ケガをした学生は、「いつから練習できますか」「数日休んだら遅れを取りませんか」「試合に間に合いますか」と不安を口にします。

薬を服用する際には、ドーピングの問題も気にしなければなりません。

ほんの少し練習を休むだけでも、パフォーマンスが落ちるのではないかと焦る学生もいます。

自分が休んだらクラブの練習ができないの、と言いたくなることもあります。でも本人にとっては、それくらい大きな不安なんです

競技に真剣だからこそ、小さな身体の変化にも敏感になる。

前島先生は、学生たちと接する中で、アスリート特有の繊細さを知りました。

それ以降、薬のこと、回復の見通し、練習再開の時期などを、より丁寧に説明するようになったそうです。

数日休んだら治るよ、という簡単な言葉だけでは駄目だと思いました。学生には丁寧な説明が必要だと感じました

学生の身体だけでなく、不安や焦りまで受け止める。

その姿勢が、前島先生のスポーツ医学における診療の軸となっています。

25年近く働き続けられるのは、仕事が楽しいから

大阪体育大学に着任してから、約25年。

前島先生に、長く働き続けることができた原動力を伺うと、迷うことなく答えが返ってきました。

仕事が楽しいからです。楽しくなかったら辞めています

毎年、新しい学生が入学し、新しいゼミ生と出会います。

私たちが学生だった頃は、仲間と一緒に考え、チームで取り組む学生が多かった一方、現在はスマートフォンを使い、一人で物事を完結させる学生も増えているそうです。

時代による学生の変化に難しさを感じながらも、前島先生は一人ひとりが社会に出て役立つ人になってほしいと考えています。

そして、卒業生が大学を訪れたり、社会人になってから相談をしてくれたりすることが、大きな喜びになっています。

「先生に言われた意味が、社会人になってやっと分かりました」と言ってくれることがあります。そういう時に、無駄ではなかったと思います

患者さんの場合は、検査結果や診察を通して回復を確認できます。

しかし、学生は卒業すると大学を離れ、その後の成長を直接見ることはできません。

だからこそ、卒業生が仕事の相談や資格試験の質問をしてくれたり、近況を報告しに来てくれたりすると、学生時代の教育が社会につながっていることを実感できます。

成長した姿を見ると、あの時しんどかったけれど、一生懸命やって良かったと思います

学生が卒業したら関係が終わるのではありません。

何歳になっても相談できる先生であり続けること。

それが前島先生にとって、教育者として働く喜びになっています。

病気があっても、競技を続ける道を一緒に考える

前島先生のもとには、ケガだけでなく、持病を抱えながら競技を続ける学生も相談に訪れます。

印象に残っている学生の一人が、糖尿病を抱えながら柔道を続けていた学生です。

柔道には減量が必要になることがあります。

一方、糖尿病の管理には食事や体重の変化が大きく関係します。

減量後に再び体重を増やすことや、薬との付き合い方など、競技を続けるためには慎重な管理が必要でした。

前島先生は、学生と相談しながら競技生活を支えました。

その学生は目立った成績を残したわけではなかったかもしれないと先生は話します。

それでも、病気を理由に柔道を辞めることなく、4年間競技を続けました。

病気があっても、柔道を辞めなかったことはすごいと思います

トップの成績を残すことだけが、スポーツの価値ではありません。

自分の身体と向き合い、周囲の支えを受けながら、最後まで続けたこと。

その経験もまた、その人にとって大切な競技人生です。

50歳から柔道を始め、黒帯を取得

現在、前島先生は大阪体育大学柔道部の部長も務めています。

実は前島先生自身も、50歳頃から大学の女性教員たちと柔道を始めました。

柔道には以前から興味があったものの、子どもの頃は女性が柔道を習うことが一般的ではなく、習う機会がなかったそうです。

大学では女性教員が集まり、前転や受け身といった基本動作から練習を始めました。

最初は前転で目が回ることもありましたが、次第に技を覚え、柔道の面白さに夢中になっていきました。

講道館の映像教材を購入して自宅でも学び、最終的には黒帯を取得しました。

昔から柔道が好きで、見るのも好きでした。実際にやってみたら、すごく面白かったんです

医師として選手を診るだけではなく、自ら新しい競技に挑戦する。

何歳になっても興味を持ったことを学び、行動に移す前島先生の姿勢は、まさにDEKIRU!な人そのものだと感じました。

アスリートは、自分の健康を人任せにしないでほしい

医師の立場から、トップを目指すアスリートに最も伝えたいこと。

それは、「自分の健康は自分で管理する」ということです。

口に入れるものから、身体から出るものまで、自分で確認してほしいと思います

食事やサプリメントは栄養だけでなく、ドーピングにも関係します。

尿の色、便の状態、痰の様子など、日々の小さな変化も体調を知る手がかりになります。

睡眠不足や栄養不足が続けば、筋肉や骨が十分に育たず、持久力も低下します。

結果として、本来のパフォーマンスを発揮できなくなります。

トレーナーや栄養士など、専門家の力を借りることも大切です。

ただし、すべてを人任せにするのではなく、自分でも知識を持ち、専門家と話し合い、納得して支援を受けることが重要だと前島先生は話します。

アスリートとして自覚を持ち、自分の健康は自分で管理してほしいです

大学4年間は、競技だけをする時間ではない

大学生アスリートにとって、競技に集中できる時間は限られています。

だからこそ前島先生は、競技だけでなく、大学で学べる知識も最大限吸収してほしいと考えています。

大学にいる間は、栄養学や医学など、専門の先生から多くの知識を学べます。座って話を聞くだけで学べる機会は、社会に出るとなかなかありません

学生時代は、その価値に気づかないこともあります。

私自身も、社会人になってから「あの時、もっと学んでおけば良かった」と感じることがあります。

大学の4年間を「スポーツをするためだけの時間」と考えてしまうと、競技を引退した時に、手元に何も残っていないと感じるかもしれません。

しかし、競技と学びの両方に取り組んだ経験があれば、引退後には選手を支える側としても、その知識を生かすことができます。

学生時代に学んだことがベースにあれば、必要になった時に教科書を見返したり、さらに上のことを学んだりできます

競技に集中すること。

身体を管理すること。

専門知識を身につけること。

そのすべてを経験できる大学4年間は、アスリートにとって非常に貴重な時間なのです。

温泉を「気持ち良かった」で終わらせない

前島先生は、リウマチや膠原病の患者さんを診る中で、痛みやストレスの軽減に温泉が役立つことに関心を持ち、温泉医学を学び始めました。

日本温泉気候物理医学会に所属し、必要な研修や講義を受け、温泉療法医の資格も取得しています。

現在は学会の運営にも関わり、今後開催される学術集会では大会長を務めます。

大会長を任された背景には、学会に新しい視点を取り入れ、若い医師や研究者にも温泉医学を知ってもらいたいという期待がありました。

前島先生は、日本に古くからある温泉文化を、人々の健康や病気の軽減に役立てたいと考えています。

そこには身体の健康だけでなく、精神的な健康も含まれています。

温泉に入って何となく良かった、気持ち良かったという個人の感想だけではなく、科学的な根拠を明確にして、社会に発信していきたいと思っています

伝統的な温泉文化と、現代の医学・科学を結びつける。

それが、前島先生がこれから取り組もうとしている新たな挑戦です。

先生にとって「DEKIRU!な人」とは

前島先生のお話を聞いて感じたのは、思いどおりにいかなかった経験さえも、次の道につなげてきた人だということです。

大学院を一年休学した経験は、循環器を学ぶ機会になりました。

家庭の事情で大学病院を辞めたことは、大阪体育大学との出会いにつながりました。

医学、スポーツ、教育、温泉。

一見すると異なる分野も、前島先生の中では「人が健康に、自分らしく生きることを支える」という一本の道でつながっています。

前島先生にとってDEKIRU!な人とは、特別な才能を持つ人だけではありません。

目の前の経験から学び、自分にできることを一つずつ増やしながら、その力を誰かのために生かせる人なのではないでしょうか。

編集後記

今回、学生時代からお世話になっている前島先生に、初めてじっくりとこれまでの歩みを伺いました。

先生がスポーツ医学の専門家であり、リウマチや膠原病の医師でもあることは知っていました。

しかし、医師を目指した幼少期のお話や、女性として家庭と仕事の両立に悩んだこと、大阪体育大学で働くことになった経緯までは知りませんでした。

特に印象に残ったのは、先生が何度も「仕事が楽しい」と話していたことです。

学生時代の私たちに、先生は厳しい言葉をかけることもありました。

当時はその意味が十分に分かっていなかったこともあります。

けれど社会人になり、後輩やアスリートのキャリアを支援する立場になった今、先生が伝えようとしていたことが少しずつ分かるようになりました。

学生が卒業して何年経っても相談に来てくれることを、先生は本当にうれしそうに話していました。

教えたことがすぐに伝わらなくても、その人の人生のどこかで役立つことがある。

先生はその瞬間を楽しみに、長い時間をかけて学生を育てているのだと思います。

私も先生のゼミ生の一人として、社会人になった姿を先生に見てもらえることをうれしく感じました。

医師として身体を診るだけではなく、学生の不安や将来にも寄り添う前島先生。

これからも大阪体育大学で多くの学生を支えながら、スポーツ医学と温泉医学の可能性を広げていかれることを楽しみにしています。

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連載

アスリートの身体と心に寄り添い続けて。医師・教育者として学生の未来を支える、大阪体育大学 前島悦子先生 「中途半端にやったら、人生も怪我をする」スポンサーから球団代表へ。大阪ゼロロクブルズ・山崎伸悟代表が“覚悟”を持って描く、地域と野球の未来 競技で培った力を、人生の武器へ。中村敏英さんが描く、アスリートの“つぎのすゝめ” 「まだ途中だから面白い」人との縁が未来をつくる。久保今日子さんの終わらない挑戦【後編】 「まだ途中だから面白い」人との縁が未来をつくる。久保今日子さんの終わらない挑戦【前編】 スポーツを愛し、人と地域をつなぐ。金沢ワイセンベルグ 宮崎さんが語る、アメリカンフットボールと石川県への想い 「人は“自分を知る”ことで可能性が広がる」。アスリートの未来を支える“脳傾向診断”とは 「スポーツのその先に、誰もが活躍できる社会をつくる」 ——琉球デイゴス代表・岩井さんが描く、地域と人をつなぐ挑戦 「野球未経験」だから見えた景色がある——滋賀ハイジャンプス代表・大八木大介さんがつくる、挑戦できる環境 「誰もがヒーローになれる」場所をつくる――ソフトボール日本代表・髙山樹里さんが描く、もう一つのスポーツの未来 地域に根ざし、選手一人ひとりの人生に向き合う。日本海リーグ瀬戸代表インタビュー
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