皆さんこんにちは!
ご縁を大切に、出会った人を応援し続けたい。
元気と明るさで人をつなぐ、“サポーター型”人事として発信している杉浦綾です。よろしくお願いいたします!
今回は、前回ご登場いただいた久保今日子さんの後編をお届けします。
前編記事はこちら
前編では、複数の仕事を持ちながらスポーツを支えている久保今日子さんの現在と、人との縁を広げてきた行動力の原点をご紹介しました。
後編では、競技を離れた後も形を変えながらスポーツに関わり続けてきた歩みと、海外、日本の伝統工芸、アスリートのキャリア支援への挑戦と広がる久保さんの未来について伺います。
「世界の砂に触れたい」偶然の出会いからイタリアへ

久保さんがビーチバレーを始めたのも、人との出会いがきっかけでした。
大阪で友人と食事をした際同席したのが、世界を転戦する日本代表のビーチバレー選手でした。「ビーチバレーなら上を目指せるのでは」と言われた久保さんは、飲みの席での何気ない一言を本気で受け止めます。
「分かりました。やります」と答えて、そのために仕事も決めました
整形外科でリハビリ助手として働きながら練習を続け、十分な練習時間を確保するために仕事を辞めたこともありました。
その頃、「自分より身長の高い人と出会ったら写真を撮る」という目標を立てていた久保さんは、偶然、ビーチバレーのイタリア男子代表に関わるビーチバレーコーチと出会います。仕事を辞めることを話すと、「オフシーズンだから、イタリアに来たら指導できるよ」と声をかけられました。
世界の砂に触れたい、世界でビーチバレーをやりたい、と思って。すぐに「行きます」と答えました
そして本当に、一週間イタリアへ向かいます。
大会に出るためには国内外を移動する資金が必要で、競技を続ける生活は決して楽ではありませんでした。アルバイトを掛け持ちし、飲食店のまかないで食費を抑え、ジムでは勤務後にトレーニングをし、先輩が運営するゲストハウスに住みながらゲストハウスの仕事をして家賃を抑え、練習した時期もあります。
しかし、選手として結果を残すためには、本人の努力だけでは超えられない環境の差があることも知りました。資金やスポンサーの有無によって、出られる大会も得られるポイントも変わります。
久保さんが「アスリートには環境が必要」と語るのは、理想論ではありません。挑戦したくても、個人の力だけでは続けられない現実を自分自身が経験してきたからです。
選手を支える方法は、指導者になることだけではない

ビーチバレーを離れるか迷っていた時期に、久保さんのスポーツへの関わり方を大きく変える仕事に出会います。
知人から、国際的なテニス大会で「英語が話せて、筋肉の名称がある程度分かる人」を探していると声をかけられました。できるかどうか確信はありませんでしたが、「こんな機会は二度とない」と自ら引き受けます。
大会では、世界のトップ選手やコーチが集まる選手ラウンジに入り、その張り詰めた空気を間近で体感しました。
今まで自分が出た大会や練習では感じたことがない、世界トップの空気でした。世界は違うんだ、面白いなと思いました
その経験をきっかけに、振動を使ったリカバリー機器を扱う会社に入社します。トップアスリートやトレーナー、医療関係者に製品を紹介するため、自らさまざまな類似品を試し、身体への影響を確かめ、医学会、勉強会などにも足を運びました。
そこで久保さんは、アスリートを支える方法は、コーチやトレーナーになることだけではないと知ります。
選手の身体を整える製品を届けること。必要な情報を正しく伝えること。選手生命を一日でも長くし、最高のパフォーマンスを発揮できる環境をつくること。
人として直接サポートするだけでなく、物を通しても選手を支えられるんだと分かりました。いいものなら、自分で納得できるまで調べて伝えたいんです
この経験は、スポーツへの情熱を仕事にする方法を久保さんに教えました。そして現在の自身の活動にもつながっています。
苦手なITの世界で、自分の仕事をつくる
その後も久保さんは、新しい挑戦を重ねます。周囲の同級生が同じ職場で昇進していく中、自分だけ仕事を変え続けているように感じ、「私は続かない人なのではないか」と悩んだ時期もありました。
そんな中、元日本代表のラグビー選手から紹介されたのが、IT企業でした。最初の顔合わせは履歴書を持った面接ではなく、社長や取締役、社員たちとの居酒屋での食事会。会社の良いところだけでなく、課題も率直に話し、漫画の話で笑い合う人たちの姿に惹かれました。
ただし、久保さんには大きな不安がありました。
ITという言葉が何の略かも分からないくらいで、絶対にできないと思っていました
それでも社長から「やるか、やらないかだけ」と言われ、最後はその場にいた皆さんの人としての面白さで入社しました。
予想通り、IT用語はまるで暗号でした。JavaとJavaScript、HTML。筋肉の名前なら分かっても、知らない言葉ばかりの環境で、3カ月後には限界を感じます。
「この人たちと働きたい気持ちはある。でもITは難しい」と正直に相談すると、取締役は「スポーツ事業なら何をしてもいい。3カ月、ITから離れてやってみたらいい、挑戦してみていいよ」と提案してくれました。
久保さんは、そんなことができるんだという驚きとともに、そこからスポーツにつながる可能性を探して動き続けます。コーチを集め、子どもたちのバレーボール合宿を企画している会社と協業し、初めて売上をつくりました。
次なる展開として上司と共に着目したのが、現在も続く「企業向け福利厚生事業」の立ち上げでした。
ターゲットにしたのは、日々のデスクワークで肩や腰に悩みを抱える社員や、運動習慣をつけたい社員の皆様。オフィスの会議室で手軽にできる短時間のストレッチやコンディショニングをはじめ、自社で運営する格闘技ジムでのプログラムを提供する仕組みを構築しました。

最大の強みは、自社で雇用しているプロの格闘技選手から直接レッスンを受けられる点です。この独自の強みを凝縮した企画書を作成し、グループ企業約30社の代表へ直接アプローチを実施。代表からのご紹介をきっかけに、サービスはグループ企業へと広がっていきました。
苦手な仕事に無理をして自分を合わせるのではなく、自分の得意なことを会社の中で事業に変える。
入社時には存在しなかった仕事を自らつくり、今ではフリーランスとして継続しています。沢山の方々のご協力があり今があります。久保さんのキャリアは、与えられた役割をこなすだけではなく、必要な場所に自分の役割を生み出してきた歩みでもあります。
世界に出たい理由は、自分らしく生きるため
久保さんは、これから世界中のどこにいても仕事ができるようになりたいと話します。
海外への興味は高校生の頃からありました。高校の時は髪の毛も短髪で182センチという身長があったので男の子と間違われたり、歩いているだけで去り際に「背が高いね」「でか」「大きい」と声をかけられたり、見られたりすることが多く、高身長が嫌になった時期があったそうです。
海外に行けば、私は普通になれる。知らない人と誰とも話さなくてもいいと思ったんです
実際にイタリアで過ごした時、歌いながら掃除をする人、自分の意見を自由に表現する人、街中で誰とでも話している人たちの姿を見て、衝撃を受けました。日本で暮らす海外出身の友人も増え、仕事や人生について話す中で、久保さんの価値観は大きく変わりました。
日本には秩序を守る大切なルールがあります。でも、時にはそこから少し出ることで、新しいアイデアや出会いが生まれる。海外の友人と話すと、もっと自分らしく生きていいんだと思えました
決まった国に移住することだけが目的ではありません。パリ、ローマ、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ドバイ、カナダ、オーストラリア、モンゴル、アフリカへ。
さまざまな文化に触れながら、自分の仕事を続け、世界と日本をつなぐこと。それが久保さんの目指す働き方です。
スポーツ×地域×伝統工芸。故郷の“当たり前”を世界へ

久保さんが世界に届けたいものの一つが、日本の伝統工芸です。
石川県で生まれ育った久保さんにとって、輪島塗や九谷焼の器、仏壇、着物、紬、和紙、水引、加賀獅子頭、そして神社やお抹茶、華道といった文化は、幼少期からごく当たり前に身近にある存在でした。
その背景には、文化とスポーツに深く根ざしたご家族の存在があります。叔母は茶道と華道の免許を持ち自宅に茶室を構え、母もまた華道を嗜む環境。祖母は書道の指導者、祖父はスキーの国体選手であり弓道の師範を務め、父方の親族は経営をしている人たちが多くいます。父は舞台美術家として長年にわたりさまざまな舞台を陰で支え続けてきました。

幼い頃から「伝統・文化・工芸」、そして「スポーツ」が日常に溶け込んだ環境で育まれた感性。それこそが現在の久保さんの原点であり、「ものづくりや文化を通じて、クリエイティブな価値を生み出していきたい」という強い想いの源流となっています。
しかし大人になり、石川県を離れてさまざまな人と話す中で、同じ日本人や石川県出身者でも工芸について知らない人が多いことに気づきます。
一度仕事をやめ、石川県に約3カ月戻った時、故郷の自然や文化に改めて触れました。忙しさの中で忘れていた「この文化・伝統が好き、石川が好き、自然、モノづくりが好き」という気持ちがよみがえり、職人さんの工房を訪ね、話を聞くようになりました。
そこで感じたのが、職人さんは作ることの専門家であっても、発信や販売をすべて担うのは難しいということでした。
いいものをつくっている人と、それを広げられる人をつなぐ必要があると思いました
現在は石川県の工芸を中心に、伝統工芸を活かした時計、甲府のジュエリーや京都の竹製眼鏡など、日本各地の職人にも関心を広げています。

そして、久保さんが実現したいのが「スポーツ×地域×伝統工芸」です。
地域のスポーツ観戦と工房見学を組み合わせたツアー。試合のチケットに、その土地の工芸品を記念品として付ける企画。海外から訪れる人が、スポーツをきっかけに地域へ足を運び、工芸や文化にも触れられる仕組み。
久保さんは、旅行会社へ自ら企画書を送ったこともあります。
スポーツも工芸も、その地域に根づき、人の想いによって受け継がれていくものです。二つをつなぐことで地域に人が訪れ、経済が回り、文化を知る人が増える。
久保さんが見つめるのは、一つの業界だけではなく、人と地域と世界が循環する未来です。
誰もがスポーツを支えられる仕組み
久保さんが携わっているスポーツ事業の一つとして、SportsBankという事業があります。
チーム、選手、協会、リーグ、保護者、ファン、企業、高校部活など、様々な層が活用できるプラットフォームです。
チケット販売、グッズ販売、ファンクラブ、ライブ配信、イベントつくりなどを一つのサービスで運用でき、基本料金・年間登録費用は無料。資金や人手に余裕のない地域チームやマイナースポーツでも使いやすい仕組みです。
高校部活動を企業が応援する「Bスポンサーズ」には、多くの部活動が登録しています。保護者がライブ配信で子どもの試合を見たり、企業が地域の部活動を支援したりと、スポーツを中心に新しい関係が生まれています。
久保さんが特に魅力を感じているのは、利用するチームの声を聞き、自社のエンジニアが開発を続けていることです。
「こういう機能が欲しいと」言われれば開発会議に上げ、緊急対応があれば土日でも対応する。普通なら費用をいただくようなことも、チームや選手のためにとみんなで続けています。自分たちが赤字になってでもスポーツのために頑張ろうとする会社は、なかなかないと思います
SportsBankが生まれた背景には、小西代表のもとに寄せられた、アスリートの就職や次のキャリア、チーム運営に関する多くの相談がありました。困っている人たちや何かやってみたい人が集まり、支え合える仕組みをつくりたい。その想いから開発が始まりました。
自社のサービスだけで囲い込むのではなく、外部のサービスとも連携し、敵味方をつくらず、みんなでスポーツを良くしていく。
久保さんが小西代表に共感した理由は、ご自身が大切にしている「人をつなぎ、一緒につくる」という考え方と重なっているからなのだと思います。
昔はコンプレックスだった身長も、人が集まる個性に変えていく

久保さんは最近、身長180センチ以上の人が集まるコミュニティ「Tallies Tokyo」をアイルランドにゆかりがある友人と立ち上げました。
初回は8人ほどでしたが、次回は約15人が集まる予定です。参加者は業界・業種・国籍・性別問わず様々です。
かつては高身長であることが恥ずかしいと思い、海外へ行けば普通になれると思っていた久保さん。今では、その身長を人と人が出会うきっかけに変えています。
大阪に4年間住んでいた時に周りの人や道ですれ違う人、初めて会う人に高身長がかっこいい、凄い、と言ってくれて、それから高身長も個性だと思えるようになりました。世界には同じようなコミュニティがあるので、いつか東京を代表するコミュニティにしたいです。
苦手だったこと、悩んだこと、コンプレックスだったこと。それらを否定して終わらせず、別の誰かが楽しめる場所に変えていく。
Tallies Tokyoもまた、久保さんの終わらない挑戦から生まれた一つの形です。
編集後記
今回の取材前、私は久保さんを「元バレーボール選手で、競技経験を生かしてアスリートを支援したい人」だと思っていました。
もちろん、その理解も間違いではありません。しかし、お話を聞き終えた時、バレーボール選手だったことは、久保さんを形づくる大切な経験の一つではあっても、久保さんの魅力を表す中心ではないと感じました。
久保さんは、競技を終えてすぐに明確な道を見つけた人ではありません。バレーボールへの気持ちをどこかに残したまま、教員、クラブチーム、整形外科、ビーチバレー、スポーツジム、リカバリー機器の営業、IT企業と、さまざまな場所を歩いてきました。
その一つひとつを見れば、遠回りに見えることもあるかもしれません。けれど、そこで出会った人や学んだことは、今の仕事や夢にすべてつながっています。
今も作り続けています。めっちゃ途中です
取材の中で久保さんが話したこの言葉が、とても印象に残りました。
完成していないから不安なのではなく、まだ途中だから、これから新しいものをつくれる。スポーツ、アスリートのキャリア、海外、地域、伝統工芸、Tallies Tokyo。一見すると異なる活動の中心には、いつも「人と人をつなぎ、みんなが笑顔になれるものをつくりたい」という想いがあります。
久保さんが最後に語ってくれた理想の人生は、今までつながった人たちとの縁が続き、一緒につくったものでみんなが笑顔になり、「一緒にやってよかった」と思えることでした。自分がいなくなった後も、残った人たちが同じように笑っていてくれたら、それが幸せだといいます。
最初から完成された夢を持っていたのではなく、歩き、出会い、学びながら、少しずつ未来をつくっている久保さん。
次はどんな人と出会い、どんな分野をつなぎ、私たちがまだ想像していない景色を見せてくれるのでしょうか。
「まだ途中だから面白い」。
私自身も、久保今日子さんのまだ見ぬ未来と、これからも続いていく“終わらない挑戦”を楽しみに応援していきたいと思います。