皆さんこんにちは!
ご縁を大切に、出会った人を応援し続けたい。
元気と明るさで人をつなぐ、“サポーター型”人事として発信している杉浦綾です。よろしくお願いいたします!
私はこれまで、人事として多くの方の人生やキャリアに向き合いながら、スポーツに関わる人たちの「その先の可能性」を応援したいという想いで活動してきました。
現役の時だけでなく、競技を通じて培った力を、人生や仕事、地域の中でどう活かしていくのか。その答えを探す中で、今回、石川県金沢市を拠点に活動するアメリカンフットボールチーム「金沢ワイセンベルグ」の宮崎勝喜さんにお話を伺いました。
正直に言うと、私はアメリカンフットボールを実際に観戦したことがありません。だからこそ、最初は「アメフトとはどんな競技なのか」「なぜ大人になっても、仕事をしながら本気で続けられるのか」という素朴な疑問から取材が始まりました。そこでお話を聞いていくうちに見えてきたのは、競技の勝敗だけではない、スポーツを愛する人たちの誇り、仲間とのつながり、そして石川県という地域への深い想いでした。
野球少年が出会った、“考えるスポーツ”アメリカンフットボール
宮崎さんは石川県出身。高校までは野球一筋の少年だったといいます。石川県内の高校で野球に打ち込み、3年生の時には県大会ベスト8まで進出。スポーツといえば野球、という時代の中で青春時代を過ごされました。
大学は関西の神戸学院大学へ進学。高校まで野球をやり切ったこともあり、入学当初は「もうスポーツはいいかな」と思っていたそうです。しかし、しばらく大学生活を送る中で、どこか物足りなさを感じるようになります。そんな時、同じ寮にいた友人から声をかけられたのが、アメリカンフットボールとの出会いでした。

ちょっとやってみようか、という感じでした。最初に褒められて、有頂天になって、そのままどっぷりですね
そこから約40年。宮崎さんは、選手として、指導者として、運営者として、アメリカンフットボールに関わり続けてきました。
宮崎さんが感じるアメフトの魅力は、「知的な部分」と「本能的な激しさ」の二面性にあるといいます。

アメフトは、ものすごく考えるスポーツなんです。野球でピッチャーとキャッチャーが配球を考えるように、アメフトも一つひとつのプレーに作戦があります。これを見せて、次にこう攻める。そういう組み立てがそのままプレーになるんです
一方で、フィールドに立てば身体をぶつけ合う激しさもある。作戦を練る知性と、身体を張って挑む覚悟。その両方があるからこそ、宮崎さんはアメリカンフットボールに惹かれ続けてきたのだと感じました。
金沢ワイセンベルグという、地域に根ざしたチーム

大学卒業後、宮崎さんは石川県に戻り、公務員として働きながら、金沢ワイセンベルグに加入しました。
当時、チームは立ち上がって間もない頃。宮崎さんにとっても、社会人として働きながらアメフトを続ける新たなスタートでした。
金沢ワイセンベルグは、石川県を拠点に活動する社会人アメリカンフットボールチームです。選手たちは平日にはそれぞれ仕事を持ち、土日を中心に練習や試合に取り組んでいます。金沢大学のチームと一緒に練習を行うこともあり、学生と社会人が交わりながら競技に向き合う場にもなっています。
社会人がメインなので、練習は基本的に土日です。単独でできる時もあれば、金沢大学さんと一緒に練習することもあります。卒業して地元に残る選手や、大学院に進む選手が、ワイセンベルグに入って後輩の面倒を見ながら社会人としてもプレーする。そういう形もあります
チームには、石川県出身の選手だけでなく、転勤などで金沢に来た選手も多く所属してきたそうです。
地元の人、県外から来た人、学生、社会人、OB。さまざまな人が、アメリカンフットボールという共通言語でつながっていく。それが金沢ワイセンベルグの大きな魅力です。
「僕はハブでありたい」。世代も地域も超えて人をつなぐ存在

取材の中で印象的だったのは、宮崎さんがご自身の役割を「ハブ」と表現されたことでした。
決して僕が何かをするわけではないんです。
ただ、金沢という土地にワイセンベルグがあって、そこに長くいる僕がいる。若い世代から年上の世代まで、普通なら接点がない人たちが、同じチームにいたということで話ができる。そういうところのハブになれればいいのかなと思っています
転勤で金沢に来た選手がチームに加わり、また別の地域へ異動していく。けれど、その後もOBとしてつながり続け、東京や大阪で試合があれば応援に来る。別々の場所で暮らしていても、「金沢ワイセンベルグにいた」という共通の記憶が、人と人をつないでいく。
宮崎さんは、アメフトそのものを愛しているだけでなく、アメフトを通じて生まれる縁をとても大切にされている方だと感じました。
地域を超え、世代を超え、競技を超えて、人をつないでいく。宮崎さんはまさに、金沢ワイセンベルグの“架け橋”のような存在です。
日本一をつかんだ先にあった、積み重ねてきた意識の変化

金沢ワイセンベルグは、昨年、日本プライベートフットボール協会加盟チームによる日本一決定戦(オーシャンボウル)で優勝を果たしました。いわゆる「草アメフト」と呼ばれるカテゴリーで、地域の代表チームがトーナメントを戦い、日本一を決める大会です。
宮崎さんによると、チームはこれまで何度も決勝の舞台に進みながら、あと一歩のところで勝ち切れない時期が続いていたそうです。
最初にオーシャンボウルに出た時は、ボロ負けでした。でも次の年は、もう少しで勝てるところまでいった。そうなると、チームの意識が変わってくるんです。次こそ日本一。次こそ日本一。そういう想いが積み重なっていきました

選手が大きく入れ替わったわけではなく、特別な何かが一気に変わったわけでもない。それでも、毎年の悔しさと経験が、チームの中に「本気で日本一を目指す」という空気を育てていったのだと思います。
優勝後、チームは今、世代交代の時期を迎えています。中心となってきた選手の中には、引退や役割の交代を考える人もいます。歴史を受け継ぎながら、若い世代へとバトンを渡していく。その過渡期である現在も宮崎さんは温かく見守っています。
勝つことだけがすべてではない。「金沢ワイセンベルグ宣言」に込めた想い

金沢ワイセンベルグのホームページには、「金沢ワイセンベルグ宣言」が掲げられています。
そこには、アメリカンフットボールが「危険なスポーツ」「野蛮なスポーツ」と見られてしまうことへの危機感と、公式規則にあるフットボール綱領を遵守し、真摯に競技に取り組むという決意が記されています。
この宣言が生まれた背景には、過去に社会問題となったアメリカンフットボールの悪質タックル問題がありました。
アメフトが危険なスポーツだとか、そういう社会的な見られ方をした時に、そうじゃないよと言いたかったんです。勝つことをすべてに優先させるチームではない。社会人チームとして、アメフトという競技を通じて、スポーツマンシップや一生懸命取り組む姿勢を大切にしている。そういうことを地域にも伝えていきたいと思いました
仕事をしながら競技に取り組む選手たち。支えるスタッフ。応援する家族やOB。
金沢ワイセンベルグには、プロとは違う社会人スポーツならではの温かさがあります。だからこそ、勝利だけではなく、競技にどう向き合うのか、人としてどうあるのかを大切にしているのだと感じました。
震災後の石川県で、スポーツができること

石川県は、令和6年能登半島地震からの復興が今も続いています。宮崎さんご自身やチームの選手たちは大きな被害を受けなかったものの、県内で働く選手たちは、それぞれの仕事の中で大変な状況に向き合っていたといいます。
震災後、金沢ワイセンベルグが試合に出場した際には、対戦相手や他地域のチームからも多くの支援が寄せられました。京都のチームが観客に募金を呼びかけてくれたこともあったそうです。
本当に感謝しました。アメフトを見に来る人は、関係者の家族やOBなど、何らかのつながりがある人が多いんです。だからこそ、気持ちのある人たちが集まってくださったのだと思います
集まった支援は、能登で活動するチアリーディングチーム「キラキラキッズ」や、石川県内の復興支援につながる団体へ届けられました。
スポーツは、ただ試合をするだけのものではありません。苦しい時に、離れた地域の人たちをつなぎ、応援の気持ちを形にする力があります。宮崎さんのお話から、金沢ワイセンベルグが石川県のチームとして、地域と共に歩んでいることが伝わってきました。
子どもたちの選択肢を増やしたい。フラッグフットボールへの挑戦
宮崎さんが今、新たに力を入れようとしているのが、フラッグフットボールの普及です。
フラッグフットボールとは、タックルの代わりに腰につけたフラッグを取ることでプレーを止める、アメリカンフットボールをより安全に、誰でも楽しみやすくした競技です。
宮崎さんは公認指導員の資格も取得し、今後は金沢スポーツ祭で体験会を実施。参加した子どもたちや保護者の反応を見て、チームとして形にしていきたいと考えています。
アメフトをさせたい、というよりも、いろんなスポーツを体験してほしいんです。小学生や中学生のうちは、いろんなスポーツをすることでバランスのいい体づくりができる。「これは面白いな」、「これは自分に合っているな」と感じる機会を増やしたいんです
宮崎さんが大切にしているのは、子どもたちの選択肢を奪わないことです。
子どもの選択肢を奪うのは、良くないことだと思っています。
一つの競技だけやっとけ、ではなく、いろんなスポーツを一通りやったうえで、「自分はこれがやりたい」と言える方がいい。最後まで一つに決めなくてもいいと思うんです
一つに絞ることだけが正解ではない。野球も、スキーも、アメフトも、勉強も、仕事も。さまざまな経験がその人の可能性を広げていく。宮崎さんの言葉は、私が大切にしているデュアルキャリアの考え方にも深くつながるものでした。
アスリートが地域に入り、応援される仕組みをつくりたい

取材の後半では、アスリートのキャリア支援についても話が広がりました。宮崎さんは、社会人として生活の基盤を持ちながら、競技も本気で続けられる環境づくりに関心を持たれています。
スポーツはしたいけれど、生活の基盤も必要です。社会人としてちゃんとやりながら、スポーツも続けていきたい。そういうことは、これからもっと重要になると思います。人間のウェルビーイングにもつながるのではないでしょうか
宮崎さんは、ご自身の地元で農業にも関わっており、例えばアスリートが地域の農作業を手伝いながら、地域の人たちに応援されるような形も考えられるのではないかと話してくださいました。
アスリートは競技だけをやればいいのではなく、応援してもらわないといけないと思うんです。
地域に入って、コミュニケーションを取って、今度試合があるので応援に来てくださいと自分から言う。そうすれば地域の活性化にもなるし、その地域自体がその人を応援する形になる
地域がアスリートを支え、アスリートも地域の一員として力になる。そこには、単なる雇用や活動場所の提供を超えた、温かい循環があります。金沢ワイセンベルグで長年人と人をつないできた宮崎さんだからこそ描ける、地域スポーツの未来だと感じました。
60歳からが、また新しいスタート
取材の中で、宮崎さんは「一昨日60歳になりました」と笑顔で話してくださいました。そして、これからは自分の好きなことをもっと形にしていきたいと語られました。
僕は今からやと思っています。今から自分の好きなことをやれる時間が来る。でも、それをどう形にしていけばいいのか、まだ具体的には見えていなかった。今日お話しして、少しずつイメージできつつある気がします
アメリカンフットボールに出会い、選手として、指導者として、運営者として関わり続けてきた40年。その先に宮崎さんが見つめているのは、アメフトだけにとどまらない、スポーツを通じた地域づくり、人づくりです。
子どもたちに多様なスポーツ体験を届けること。社会人アスリートが競技と仕事を両立できる仕組みをつくること。石川県という地域で、人と人が応援し合う関係を育てること。
宮崎さんの言葉を聞きながら、私は「スポーツを続けること」は、単に競技を続けることではなく、人との縁を育て、地域への愛情を深め、自分らしい生き方を重ねていくことなのだと感じました。
編集後記
今回、私はアメリカンフットボールを知らない立場で初めてお会いする宮崎さんの取材に臨みました。けれど、宮崎さんのお話を聞く中で、アメフトのルール以上に心に残ったのは、「なぜ大人になっても本気になれるのか」ということでした。
プロでもなく、お金になるわけでもなく、むしろ時間も体力も使う。それでも続ける理由。そこには、仲間がいて、地域があって、誇りがあって、スポーツマンシップがありました。
金沢ワイセンベルグは、日本一になったチームです。けれど、その強さは結果だけではなく、長い年月をかけて人と人をつなぎ、地域に根ざし、アメリカンフットボールを愛し続けてきた積み重ねの中にあるのだと思います。
宮崎さんは、ご自身のことを「ハブ」と表現されました。私には、その言葉がとても温かく響きました。人と人をつなぐ。地域とスポーツをつなぐ。子どもたちの未来と、アスリートのこれからをつなぐ。
石川県で、スポーツを通じて新しい希望をつくろうとしている宮崎さんの挑戦を、これからも応援していきたいと思います。
また、今回の取材をぜひ宮崎さんにしてほしいと紹介してくださった深井さんにも改めて素敵な出会いをいただいたことに感謝いたします。