「中途半端にやったら、人生も怪我をする」スポンサーから球団代表へ。大阪ゼロロクブルズ・山崎伸悟代表が“覚悟”を持って描く、地域と野球の未来

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「中途半端にやったら、人生も怪我をする」スポンサーから球団代表へ。大阪ゼロロクブルズ・山崎伸悟代表が“覚悟”を持って描く、地域と野球の未来

ご縁を大切に、出会った人を応援し続けたい。

元気と明るさで人をつなぐ、“サポーター型”人事として発信している杉浦綾です。よろしくお願いいたします!

今回の「挑戦するスポーツの世界」では、さわかみ関西地域プロ野球リーグ(旧:さわかみ関西独立リーグ)に所属する、東大阪市を拠点とする大阪ゼロロクブルズの球団代表・山崎伸悟さんにお話を伺いました。


山崎さんは、もともと球団を外から支えるスポンサーの一人でした。そこから球団代表となり、現在はスポンサーとの関係づくり、チームの方向性の設計、選手のキャリア支援など、球団運営全般に携わっています。


スポンサーだった山崎さんは、なぜ球団を背負う立場になったのでしょうか。


取材前の私は、野球への情熱や東大阪市への想いを中心にお聞きしたいと思っていました。しかし、お話を聞くうちに見えてきたのは、人生の節目ごとに自ら覚悟を決め、新しい環境へ飛び込んできた山崎さんの姿でした。


球団代表になるまでの歩み、選手たちへの想い、地域における球団の役割、そして山崎さんが野球の先に描いている未来について伺いました。

“野球との縁”が途切れなかった人生

山崎さんは大阪府豊中市で生まれ、幼少期には父親の転勤で山口県へ。その後再び大阪へ戻り、現在は箕面市で暮らしています。

大阪ゼロロクブルズの本拠地である東大阪市に住んだことはありませんが、幼い頃から東大阪市の少年野球チームと対戦するなど、野球を通じて地域との接点はありました。

自身も大学ではサークルで野球を続け、社会人になってからも早朝野球連盟に所属。仕事が変わっても、野球との縁は途切れませんでした。

新卒で入社したのは、大手電機メーカーのオムロン。医療現場に関わる仕事を担当し、手術の立ち会いなど、呼び出しがあれば現場へ向かう日々を過ごしました。

安定した大企業で働き、家族も安心していた中、山崎さんの人生を大きく変える出来事が起こります。

きっかけは、テレビ番組『カンブリア宮殿』でした。

番組で紹介されていたのは、愛媛県で地域産業の再生や新規事業に挑戦している、個性的な経営者。その生き方や経営に興味を持った山崎さんは、番組が終わるとすぐに本人へメッセージを送りました。

返ってきたのは、募集中の職種が並んだ事務的な返信。その中に「新しいビール事業を立ち上げる責任者」という内容を見つけると、すぐに企画書を作り、送りました。

その行動がきっかけとなり、経営者との面談が実現します。

一緒に働きたいので、今すぐ会社を辞めます

そう伝えた山崎さんに返ってきたのは、「その気持ちがあるなら、すぐ愛媛に来て」という言葉でした。

当時、長男が生まれたばかり。にもかかわらず、奥さまも「行こうよ」と背中を押してくれました。高校時代から山崎さんを知る奥さまは、その性格も決断力もよく理解していたのです。

こうして家族3人で愛媛へ移り、新しい生活がはじまりました。

わずか一週間で消えた、新規事業

しかし移住してすぐ、大きな問題に直面しました。山崎さんが企画していたビール事業は、酒類製造に関する条件や費用の壁があり、わずか一週間ほどで中止になったのです。

大企業を辞め、家族で愛媛へ移り、給与も大きく下がった直後の出来事でした。

何をしに来たんやろう、と思いました

しかし、山崎さんはそこで後悔するのではなく、自分の甘さを認めました。

勢いで決めた部分もあった。でも、ここからは自分の足で動いて、何かを成功させ、新しい道をつくらなければいけない

その覚悟を胸に、愛媛県庁や松山市などの行政と連携しながら、愛媛の魅力を県外へ発信する仕事に取り組みました。百貨店や東京都内で愛媛フェアを開催するなど、新規事業の企画と運営を約3年間経験します。

その後、高校時代からの親友に声をかけられ、大阪へ戻ることになりました。

親友が経営する警備会社では、若い人材の採用に苦戦していました。そこで山崎さんは、新卒採用に加え、社員や家族が利用できる会員制焼肉店の立ち上げにも携わります。

のちに警備会社が上場企業へ事業譲渡された際、山崎さんたちは飲食事業とともに独立。その後は飲食店を続けながら、新卒採用や営業支援、企業の現場へ深く入り込むコンサルティングなど、仕事の幅を広げていきました。

コロナ禍で助けてくれた人たちとのご縁

経営者として最も大変だった時期を尋ねると、山崎さんの回答は「コロナ禍」。飲食店を営業してよいのか、閉めるべきなのか。社会全体が混乱し、正解が分からない中で、店を休業することを決断しました。

売上はゼロ。先の見えない状況で、Uber Eatsを始めるなど、できることを模索しました。

さらに、人とのご縁からAmazonで肉のカタログギフトを販売する機会にも恵まれます。外出を控える生活が続く中で商品は好評となり、店を守る大きな力になりました。

自分たちのアイデアだけというより、本当にいろいろな人に助けてもらいました

山崎さんの話には、何度も「ご縁」という言葉が登場します。

自ら行動する力と、人から差し出された機会をすぐに形にする力。その両方が、山崎さんの歩みを支えてきました。

スポンサーから、球団代表へ

大阪ゼロロクブルズとの関係が深まったのも、人とのつながりがきっかけでした。

球団オーナーの矢白木崇行さんと親しくなり、食事をともにする中で、山崎さんは球団に対するさまざまなアイデアを伝えるようになりました。

こんなイベントをしたら、もっと楽しいのではないか

そうした提案に対して、矢白木オーナーから返ってきたのは、「それなら実際にやってみたらいい」という言葉でした。

最初はスポンサーとして球団に関わっていましたが、当時の球団代表が家庭の事情で退任することになり、矢白木オーナーから「もう、お前の出番やで」と声がかかります。

突然の話に、山崎さんもすぐに全面的な運営を引き受けたわけではありません。

シーズン途中だったこともあり、まずは準備と勉強の期間を設け、球団の現場を知ることから始めました。

選手自身がグラウンドを整備し、試合前には相手チームの選手とも和やかに話す。しかし、試合が始まれば真剣勝負になる。

そんな地域リーグならではの光景に触れながら、次のシーズンに向けたチームづくりを考えていきました。

明るく、元気に。それでも締めるところは締める

山崎さんが球団づくりで大切にしているのは、「明るさ」と「元気」です。

選手たちは、夢を与える存在だと思うんです。暗い雰囲気より、あのチームに行ったら楽しそう、自分もあそこでプレーしたいと思ってもらえる方がいい

その考えから、監督にはダース・ローマシュ匡さんを招きました。

ダース監督は、明るく親しみやすい一方で、オンとオフの切り替えができ、締めるべき場面ではしっかり指導できる人物です。山崎さんとは「面白い」と感じる感覚や、ふざけてよい場面と真剣に向き合う場面の境界線が近いといいます。

山崎さんは、選手から相談しやすい「兄貴分」のような立場を目指し、ダース監督が技術面やチーム全体を引き締める。二人は頻繁に連絡を取り合い、ときには深夜まで選手やチームについて語ることもあります。

一方で、チームには明るさだけではなく、プロとしての振る舞いも求めています。

シニアアドバイザーを務める谷口功一さんから受け継がれるのは、挨拶や身だしなみ、礼儀といった、人として当たり前のことを徹底する姿勢です。

楽しさが勝って、緩くなることもあります。だからこそ、締めるところはきちんと締める。そのメリハリは大切にしています

明るさと厳しさ。その両方が共存することが、大阪ゼロロクブルズの魅力です。

自分は何者なのか。選手自身が発信する

山崎さんは、選手の競技以外の一面にも目を向けています。

ある捕手には、ランニング中にごみを拾う様子を毎日SNSへ投稿することを提案しました。別の強面の選手には、道端で見つけた花を撮影し、花言葉を調べて発信することを勧めました。

野球の技術だけで圧倒できる選手ばかりではありません。でも、自分が何者なのかを自由に示せる時代です。実はこんな一面がある、ということを知ってもらうのも大切だと思うんです

大切にしているのは、単に注目を集めることではなく、継続することです。

雨の日でもごみを拾う。苦しい日でも花を探す。

誰にでもできそうに見えて、毎日続けることは簡単ではありません。

何かを継続する力は、野球にも人生にもつながる。そういうところに美学があると思っています

山崎さんは、選手一人ひとりの性格を知り、どのような言葉なら心に届くのかを考えながら向き合っています。

自分が正しい答えを与えるのではなく、一緒にその人らしさを見つけていく。それは球団代表というより、一人ひとりを輝かせるプロデューサーのようにも見えました。

デュアルキャリアは「仕事と野球を半分ずつ」ではない

選手のデュアルキャリアについて尋ねると、山崎さんは、その言葉が独り歩きすることへの懸念を語りました。

デュアルキャリアという言葉だけを聞けば、仕事と野球を50対50で両立することだと捉える選手もいるかもしれません。

しかし、NPB(日本野球機構)やMLB(メジャーリーグベースボール)を目指して地域リーグへ来た選手にとって、中心にあるべきなのは、あくまでも野球です。

生活するために働くことは必要です。でも、働くことが本軸になってしまったら、ここへ夢をつかみに来た意味が変わってしまう

限られた選手生活の中で、何を目指し、そのために一日の時間をどう使うのか。働く経験も、地域との交流も、自分の向き不向きや価値観を知る機会にする。

山崎さんが考えるデュアルキャリアとは、二つの活動へ均等に力を分けることではありません。

野球に本気で挑戦しながら、社会との接点を通して自分を知り、次の人生にもつながる力を身につけていくことなのです。

球団は、地域と人をつなぐ「ハブ」

山崎さんが取材中、繰り返し口にした言葉があります。

それが「ハブ」です。

僕たちは、スポンサーさんから支援してもらうだけの存在ではいけないと思っています。球団があることで人と人がつながったり、新しいイベントや仕事が生まれたりする。そういう「ハブ」になりたいんです

東大阪は、ものづくりの街として知られる一方、花園ラグビー場を中心にラグビーが根づき、FC大阪によるサッカー、そして大阪ゼロロクブルズの野球があります。

競技の垣根を越えて連携し、市や地域のイベントに参加することで、スポーツが市民の日常にある街を目指しています。

今週末、何をしようかとなった時に、ラグビーを見に行こう、サッカーを見よう、今日は野球を見に行こうとなる。スポーツがあることで家族の会話が生まれ、今日一日楽しかったと思ってもらえたら嬉しいですね

地域のイベントでは、選手たちが子どもたちに野球を教えます。

名前を知らない選手であっても、ユニフォームを着た“プロ野球選手”を前にした子どもたちの目は輝きます。その姿を見て、山崎さん自身も、子どもの頃に選手へ憧れた気持ちを思い出したといいます。

大阪ゼロロクブルズの選手は、車いすソフトボールの活動にも参加します。

野球だけでは出会えなかった人や競技、価値観に触れること。それもまた、選手の視野を広げ、社会へ出ていく準備になります。

僕たちがきっかけとなって、何かがはじまる。それが球団として地域に提供できる価値だと思っています

父親から教わった思い「反省はしても、後悔はするな」

山崎さんが大切にしている言葉は、父親から教わったものです。

反省はしても、後悔はするな

反省は次へ進むためのものですが、後悔は「やらなければよかった」という気持ちを生み、次の行動を止めてしまいます。

愛媛へ渡った直後にビール事業がなくなった時も、この言葉が支えになりました。

自分の決断を後悔するのではなく、足りなかった部分を反省し、そこから何をするかを考える。その積み重ねが、山崎さんの行動力につながっています。

そんな山崎さんを象徴する、少し驚くようなエピソードがあります。

初めて友人たちとスキーへ行った時、初心者にもかかわらず、いきなり上級者向けのコースへ連れて行かれました。

下を見ると、まるで崖。友人たちは先に滑り、「下で待っている」と言います。

滑り方も止まり方も分からない中で、山崎さんはオリンピックの直滑降を思い出し、そのまま一気に滑り始めました。

途中で中途半端に体勢を崩せば、大怪我をする。そう感じた山崎さんは、腹を決めて前傾姿勢を保ち、最後は雪の壁へ突っ込んで止まったそうです。

いざとなったら、腹をくくってやり切るしかない。中途半端にやったら怪我をするんです。人生も、仕事もきっと同じだと思います

この言葉に、山崎さんの生き方が表れていると感じました。

必要なのは、「覚悟し続けること」

山崎さんは、選手にも、球団経営へ関わりたい人にも、「覚悟が必要だ」と語ります。

ただし、必要なのは、最初に一度だけ覚悟を決めることではありません。

新しい会社へ転職する。やりたい仕事を始める。プロを目指して地域リーグへ入る。

決断した瞬間だけではなく、その環境に入った後も努力を続け、自分の居場所をつくっていく覚悟が必要です。

良い環境がどこかにあると思って移るだけではなく、自分で良い環境をつくりにいく。覚悟は、持ち続けないといけないと思います

もちろん、本当に苦しい時には逃げてもいい。

けれど、どこへ行っても、自分の人生を誰かや環境のせいにせず、自らつくる姿勢は必要です。

山崎さんは、覚悟し続けながら、自分だけでなく、選手やチーム、地域の未来をつくろうとしています。

野球の先に描く、温かい地域の未来

山崎さんには、球団運営を超えて実現したい大きな夢があります。

それは、民間の力で少子化や地域のつながりの希薄化に向き合うということです。

子どもをたくさん産んでください、という話ではありません。子どもを育てたい人が育てやすい。子どもがいない人も、自分なりの形で地域に関われる。ここに住んでいて楽しいと思える地域をつくりたいんです

かつては、近所の人が子どもを見守り、親が帰るまで家に入れて、おやつや食事を出してくれるような関係がありました。

人と人との距離が遠くなりつつある現代で、もう一度、温かいつながりをつくりたい。

行政へ「何とかしてほしい」と求めるだけではなく、志を持つ民間の人たちがアイデアと資金を持ち寄り、自分たちで形にしていく。

野球やスポーツも、そのための大切な入口です。

人がいなければ、スポーツもエンターテインメントも続きません。だからこそ、今を生きる自分たちが、次の世代へ何を残せるかを考えたいと山崎さんは話します。

自分のことをいいなと思ってくれる人は、もう仲間であり、家族だと思っています。僕がしんどい時には助けてもらい、誰かが困っていたら自分のできることで助ける。そんな温かい地域を、もう一度つくりたいんです

編集後記

今回、山崎代表には「スポンサーから球団代表になった歩み」「東大阪への想い」「選手のデュアルキャリア」などを中心に伺う予定でした。

しかし、取材を進めるうちに、私が最も知りたくなったのは「山崎さんは、なぜこれほど人を巻き込み、新しいことへ進み続けられるのか」ということでした。

大企業を辞めて愛媛へ移ったこと。立ち上げるはずだった事業がすぐになくなっても、そこで立ち止まらなかったこと。コロナ禍で人とのご縁に助けられたこと。そして、スポンサーという立場から球団代表としてチームを背負う決断をしたこと。

一つひとつのお話を聞きながら、山崎代表は「覚悟を決めた人」というよりも、「覚悟し続けている人」なのだと感じました。

特に印象に残ったのは、選手一人ひとりの魅力を見つけようとする姿勢です。毎日のごみ拾いや花言葉の発信など、一見すると野球とは関係のない行動にも、その選手らしさや継続する力を見つけ、応援してくれる人との接点に変えていました。

山崎代表は、誰かを上から引っ張っていくのではなく、「一緒におもしろくしていこう」「自分にできないことは助けてほしい」と、同じ目線で人と向き合います。だからこそ、人が集まり、新しいご縁やアイデアが生まれていくのだと思います。

取材前よりも、「大阪ゼロロクブルズの試合を見たい」、「選手たちを知りたい」、そして「山崎代表がこれからつくろうとしている未来を応援したい」という気持ちが強くなりました。

球団を地域と人をつなぐ「ハブ」にする。その先に、子どもから大人まで、誰もが自分らしい形で関わり、支え合える温かい地域をつくる。

山崎代表の大きな夢が、東大阪からどのように広がっていくのか。これからも、その挑戦を追いかけていきたいと思います。

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