雨上がりの盛岡。
夜の道路に街灯の光が反射して、少しだけ滲んで見えるアスファルト。
車が通り過ぎるたびに揺れる水たまりに落ちた光。
この景色を見た瞬間、不思議と目が離せなくなっていました。
「この空気を残したい」
そう思ったのです。
リハビリから制作に変わった、盛岡の夜
どんな光景が目の前に広がっていても、以前の自分ならたぶん立ち止まっていない。
景色を見る余裕がなかったからです。
線維筋痛症と合併症によって、体調には波があります。
長時間同じ姿勢でいることが難しい日もあり、気持ちまで沈んでしまう日もありました。
前回も書いたように当時の自分にとって、デジタルアートは“作品制作”というより、どちらかといえばリハビリに近い感覚でした。
第1回記事
不安で頭が埋め尽くされてしまう。
不安なことばかり考えてしまう。
不安な気持ちでいっぱいになってしまう。
手を動かしていると少しは気持ちが楽になったので、そんな自分から目を背けるように、とにかく無心で画面に向かっていました。
ただ、その頃の作品には、自分でもどこか“無理をしている感じ”がありました。
上手く描こう。
綺麗に仕上げよう。
ちゃんと完成させよう。
そう思えば思うほど、気持ちが置いていかれている感覚がありました。
そんな時に描いたのが、最初に書いた雨上がりの盛岡の夜景です。

最初は、思うように進みませんでした。
光を入れすぎて、落ち着かない絵になったり、逆に色を抑えすぎて今度は自分の感じた空気が消えてしまったり。

描いては消し、また描き直す。
気づけば、同じ道路ばかり何度も見ていました。

すると、少しずつ変化が生まれます。
「上手く描く」より、「自分が感じた空気を残したい」という気持ちのほうが強くなっていったのです。
街灯の光。
濡れた道路。
少し冷たい夜の空気。
見たままを細かく再現するより、“自分が立ち止まった理由”を絵の中に残したかったです。
その頃から、デジタルアートに対する感覚が変わり始めました。
描く意味を見出した、一人の言葉
完成した作品を見た時、不思議な感覚がありました。
「ちゃんと描けた」というより、「ちゃんと残せた」。そう感じたのです。
それまで頭の中に散らばっていた感情が、一枚の絵の中で整理された気がしました。
そして、その時初めて自然に思えたことがありました。
「また描きたい」ということ。
これまでは「上手く描かなきゃいけない」というプレッシャーに押しつぶされそうになっていましたが、絵とポジティブに向き合えた気がしたんです。
もっと別の景色も描いてみたい。
自分の感じた空気を、もっと形にしたい。
そんな気持ちが生まれてきました。

後日、この作品をSNSへ投稿しました。
すると、こんなコメントが届きました。
「昔、仕事帰りに見ていた景色を思い出しました」
その言葉を読んだ瞬間、胸の奥が少し熱くなりました。
自分が描いた景色が、誰かの記憶と繋がった。
ただ“見てもらう”だけではなく、誰かの感情を動かせたことが嬉しかった。
その瞬間、デジタルアートは“自分の気持ちを整理するためのもの”から、“誰かの記憶や感情と繋がるもの”へ変わっていったのです。
描けない日も含めて、制作

今でも、思うように描けない日はあります。
体調によって、制作がほとんど進まない日もあります。
それでも以前より、「今日はダメだった」とは思わなくなりました。
描けない日も含めて、自分の制作なのだと思えるようになったからです。
あの雨上がりの夜から、自分の中で少しだけ景色の見え方が変わった気がします。
作品を描くというより、日常の中にある感情を拾い集めている。
最近は、そんな感覚に近いです。
今月の一言
“上手く描けたか”より、“自分の感じた空気を残せたか”。
今は、その感覚を大事にしている。
次回予告
次回は、クリエイターなら誰もがぶつかる壁「描けない日を、どう乗り越えるか」についてご紹介する予定です。
体調が整わない日。
アイデアが浮かばない日。
「今日は無理かもしれない」と感じる日。
そんな時、自分がどんなふうに制作と向き合っているのか。
完成を急がず、“続けるために工夫していること”を中心にお話ししたいと思います。
