声優・アーティストとして活躍する小野大輔さんの初のマキシシングル「雨音」。この名曲をきっかけに、小野さんの故郷・高知県佐川町の老舗酒蔵「司牡丹酒造」との異色のコラボレーションが実現し、日本酒「AMAOTO(雨音)」が誕生しました。
DEKIRU!では今回、小野大輔さんをはじめ、楽曲の生みの親である作曲家の山田智和さん、作詞・編曲を担った渡辺拓也さん、そして司牡丹酒造代表の竹村昭彦さんを迎えてのクロストークを開催。重厚なバラードが出会いの曲となり、やがて地酒になるというユニークなチャレンジの背景や、そこから見えてくる音楽と地域産業が交わることで生まれる新しい可能性などについてお話を伺いました。

−−今日はよろしくお願いします。本題に入る前に、私事なんですが……実は私、もう10歳の頃からオタクでして。小野さんのことはアニメ『AIR』(2005年)の時から存じ上げているんです 。
小野:『AIR』! 僕のアニメ主役デビューの作品ですね 。今回のライブでキャラソンを歌った後にも「古(いにしえ)のオタクが疼いていることでしょう」と言いましたけど、まさにここにいました!
−−左様です(笑)。失礼しました、仕事モードに戻ります。
以前にこのメディア「DEKIRU!」で山田智和さんに取材をした際、「作曲家としてのデビュー曲は?」と聞いたら「『雨音』という曲で、小野大輔さんのデビュー曲なんです」と伺いまして。さらに「その楽曲が日本酒になってまして」とも聞き、「えっ、お酒に……?」と衝撃を受けたことが今回の企画の発端にあります。
「雨音」をきっかけに、山田さんは「作曲家」から音楽ビジネスを担う「社長」へ。司牡丹さんは「酒造」を超えて「エンターテインメント」へ。
「雨音」に関わる皆さんが、既存の枠を超えて挑戦している。これはすごく面白いぞと思いまして、今回の座談会の場を設けました。
改めて当時のことを思い出していただきながら、いろいろとお話しいただければと思います。
一同: よろしくお願いします!
当時は全員20代。「雨音」が繋いだ若き才能たち

−−では改めまして、「雨音」にはどう関わったのか、自己紹介をお願いします。
山田:作曲家の山田智和です。「雨音」は私が29〜30歳の時に作った曲で、私の「作曲家デビュー曲」でもあります。
小野:じゃあ山田さん、僕とほぼ年が同じだ。当時はお互いまだまだ若かったですよね。
山田:若かったですね(笑)。
20代の頃は自分がバンドでメジャーデビューしようと明け暮れていました。
でも、それがまあ壁にぶつかって。「作曲家という道があるよ」と仲間から聞き、歩み始めた最初の曲が「雨音」でした。
竹村:司牡丹酒造の竹村です。今日のメンバーの中では一人だけ異質というか、年齢もかなり上なんですが(笑)。2019年から、日本酒「AMAOTO」を造らせてもらっています 。
小野:竹村さんがいなかったら、お酒の「AMAOTO」は生まれませんでしたからね。
改めまして、小野大輔です。「雨音」は僕の初のマキシシングルにあたる曲になります。
渡辺:「雨音」の作詞・編曲を担当した、ギタリストの渡辺拓也です。
僕ももともとバンドをやっていて、20代中盤から作家活動を始めました。「雨音」は作詞を始めて2年目くらいの曲ですね。
小野:そうだったんだ! 「雨音」って、僕が27歳の時で……。
山田:私が29歳の頃でした。
渡辺:僕は当時、24歳でした。
一同:みんな若い!!(笑)
小野:「雨音」って、24歳が書く歌詞じゃないよね。
渡辺:確かに(笑)。自分でも「24歳だった」という自覚がまったくないです。
今日のライブで「雨音」を演奏していて、改めて歌詞を聴いてたら……ピアノと歌だけのアレンジがめちゃくちゃ染みて、ちょっと泣きそうになっちゃって(笑)。
「あぁっ、次のパート入らなきゃ……!」って焦ってました。
小野:染みるよね! 20代中盤で作った曲だから、時間が経って改めて聴くと逆に新鮮なんです。
この「雨音」から、拓ちゃん(渡辺拓也さん)とはもう20年近くずっと一緒に音楽を作ることになるんです。まさに「盟友」との出会いの曲でもありましたね。
「雨音」は楽曲も歌詞も「即決でした」

−−小野さんにとってのデビュー曲。どうやってこの曲に決まったんですか?
小野:「雨音」が生まれる時の最初の想いとしては……僕はスターダスト☆レビューさんの「木蓮の涙」という曲がものすごく好きで。「大切な人を亡くす」というテーマの楽曲で、自分が音楽をやるなら、大好きなこの曲のようなモチーフにしたいとスタッフに相談したんです。
コンペでたくさんの楽曲が集まったんですが、その中に山田さんの曲があって。聴いてすぐに「この曲がいい」と即決でした。
−−コンペでは何曲くらい聴かれたんですか?
小野:5〜6曲……もっと多かったかな。何せシングルとしては1枚目だから、当時のプロデューサーも気合いを入れていろんな人にオファーしてくれて。
でも、満場一致でした。
渡辺:たぶん、その数曲に絞られる前にもっと……100曲ぐらいあるはずですよ。
小野:100曲!? そういうもんなんですか!?
渡辺:そういうもんです(笑)。
音楽チームが楽曲を集めて「これはご本人に聴かせよう」という曲を選抜するんです。
「この中のどれに決まっても僕たちはいいですよ!」という状態のものを聴いていただいて、小野さんが「これ」と選んだのが山田さんの曲だったんだと思います。
小野:そうなんだ……やっぱり運命なのか……。
ここから山田さんとも拓ちゃんともの「出会い」も生まれた。
「別れの曲」なのに、いろんな「出会い」を生み出してくれている曲ですね。
「演技」と「作曲」の意外な共通点

−−山田さんは当時、くすぶっていた時期だったと仰っていましたが、どんな気持ちで作られたんですか?
山田:29歳から作曲家を目指して1年間、100曲くらい作ったのに1曲も採用されず、「もうダメだ……」という時期でした。
そんな時に小野さんのオーダーをいただいて。内容をパッと見た時に「あ、いける」と思ったんですよ。実際、スルスルっとあのメロディーが出てきて。
小野:僕はシンプルに「好きな曲はこれで、こんな感じにしてください」って言っただけでした。なのにあんなに素晴らしい曲を作ってくださって。しかもそれがスラスラ出てきたって……。
山田:採用していただく楽曲って、大体悩まなくてスラスラッと出てきたものが多いですね。悩んだものは「無理してる」のが伝わっちゃうのか、採用されないことが多いんです。
小野:うわぁ、面白いですね。
役者の立場で言うと、オーディションの時って、自分がやりたい役ほど受からないんですよ。
一同:へぇー!
小野:気合入れすぎちゃって、悩んで悩んで、こねくり回して……「この役への思いはこうだ!」っていう風に全部入れると「重い」んですよ 。そういう経験が結構あるんですけど、作曲でもそうなんですね。
−−歌詞についてはどのように作られたんでしょう。先ほど「24歳が書く詞じゃない」というお話もありましたが(笑)。
渡辺:僕への依頼は、当初は「編曲」だけだったんですよね。
それが途中で「ごめん、歌詞も書ける?」っていきなり追加されて(笑)。
オーダーされたテーマは「死別」や「別れ」。スターダースト☆レビューの「木蓮の涙」みたいな方向性で、ってメールでいただいた記憶があります。
でも、それだけだと暗くなりすぎるから、「紫陽花」や「傘」といった色鮮やかな、ちょっとポップな要素を入れたほうがいいのかなと思って書きました。
小野:歌詞をもらったとき、1回聴いただけで「ストーリー」が見えたんですよね。男女が生きてきた道筋とか、「大きな傘をひとつだけ差そうよ」とか、映画のようにシーンが浮かんだ。
1番は、高い丘に登って、亡くしてしまった恋人のことを思い返しているところから始まって、2番は、その時の思い出に繋がっていくんです。
モノクロだった景色に、2番の歌詞で色がついていく感じ。「これはすごいぞ」と。物語を紡ぐ声優としての自分にふさわしいと確信しました。
だから、歌詞もいただいた時に即決だったと思います。「これで行こう」と。
ただ、一箇所だけ直してもらったことを覚えてます。「色とりどり咲く傘」っていう歌詞。
渡辺:ああ、最初は「色とりどり咲く花」って書いてましたね。
小野:そう! 「傘」を「花」に喩えてくれてたんだけど、「ここは暗示ではなくて、『傘』と明示した方が、雨が降っている情景がお客さんに伝わるかもしれない」って思ったんです。
「しっかり雨が降ってるんだな」とか、「たくさん傘をさしてる人がいるんだな」とか、そんな情景がパッと浮かぶような。
そこは声優としての「言葉のこだわり」みたいなものがあって変えてもらいました。でもライブでは思わず「花」って歌いそうになったりもしてましたね(笑)。
初めて出会った「雨音」レコーディング

山田:私が今でも覚えているのは、レコーディングの時ですね。お二人と初めてお会いした日です。
小野:ああー、そうだ。20代の僕たちが勢ぞろいしてたんですね。
山田:渡辺さんはもうテキパキと、40代50代のベテランミュージシャンの方々を仕切っていて。
小野:たしかに。ストリングスも揃えていてすごいレコーディングだったね。
渡辺:祖師谷とか千歳船橋あたりのスタジオでしたね。もう無いんじゃないかな。
小野:「雨音」が生まれた場所か……懐かしいなあ。
山田:「雨音」にまつわるいろんな経験を通じて、自分は「作曲」に特化していこうと決めたんです。この道を進んでいくことを決意したという意味で、大きなターニングポイントになりました。
小野:「雨音」がそんなきっかけになっていたなんて……光栄です。
震災と「雨音」。ファンが変えた楽曲の意味

−−「雨音」のリリース後、周りからの反響などはありましたか?
小野:重くて、ともするとマイナスにも捉えられるような題材を扱った楽曲が「人の背中を押す」ことがある−−そういう音楽の力を「雨音」を通じて実感しました。
2011年に東日本大震災がありましたよね。その時、被災されたファンの方々から「『雨音』を聴いて心から癒されました」という手紙を何通もいただいたんです。リリースから何年も経っている曲なのに。
「大切な人を亡くして、本当は忘れたい。でも曲を聴くことで、いつまでも忘れないでいられる。思いを新たにできる」と。
その思いにうつむくんじゃなくて「曲を聴くことで前を向けた」ということを仰っていただいて。
これは、まったく想像すらしていなかったことでした。
僕自身はただ「好きな楽曲を歌いたい」という気持ちだったんですが、この経験から「楽曲は、世に送り出した後は受け取る人のものなんだ」と強く感じるようになりました。
−−その経験を経て、アーティストとして、声優として仕事への変化などはありましたか?
小野:はい。震災の年に作った次の曲が「Delight」だったんですが、これは「歓喜」という意味で、「雨音」とは真逆のめちゃめちゃ明るい曲なんです。
絶対に後ろを向かない。それを感じたかったし、それを聴く人に伝えたかった。
震災の時に「雨音」を受け入れてくれたファンの声があったからこそ、「Delight」が出せたんじゃないかと思っています。
日本酒「AMAOTO」が生まれた理由

−−そんな聴き手の思いも受け止めて成長していった名曲「雨音」が、まさか10年近く経って「日本酒」になるとは。
小野:これも不思議な縁で。僕はもともと日本酒が好きで、ラジオでポロっと「お酒造ってみたいなあ」って言ったのが始まりなんですよね。それを聴いたファンの方が、司牡丹さんに手紙を書いてくださったんですよね?
竹村:はい、ライブにも来ていたファンの方です(笑)。
小野さんのご実家は、司牡丹と同じ佐川町にある家具店で。お母様を通じて小野さんに連絡を取りました。
小野:なるほど……それで母から連絡が。
うちは地元で商売をずっとやっていて、営業をするから町の人たちがみんな知り合いなんですよね。
竹村:そうして東京で初めて小野さんとお会いしたら、とんとん拍子で話が進みました。
なにしろラジオで軽く口にされたことだけから始まった話ですから、ちょっとした冗談なんて可能性もあるかな、とも思っていたんです。
でも小野さんは「本気でやりたい」と仰ってくださって。
小野:竹村さんから「毎年蔵に来て仕込みを手伝ってください」と本気度も試されて、「やります」と即答しました。
竹村:せっかく声優さんに本気で関わっていただくわけですから、その声を最大限活かしてもらおうとも考えまして。日本酒を生み出す酵母は生き物ですから、「美味しくなれよ」と声を掛けてほしいとお願いしました。
小野:そのようなお話を竹村さんから伺って、日本酒の製造工程をいちから勉強しました。
「なるほど、冬の寒い時に『櫂入れ』(『もろみ』を混ぜてかき混ぜる作業)をするんだ」「だから年末年始にかけて行うんだ」と学ばせていただいて。
毎年、年末は「おれパラ」という恒例のライブイベントがあるんですけど、それが終わったら櫂入れのために帰省するようになりました。
冬の蔵に入って櫂入れをする時に感じるんですよ。「あ、生きてるな」って。
もろみを混ぜる度にボコボコって音がして。声を掛けると、反応している気がするんです。
そうやって製造工程に関わらせていただいているので、より愛着が沸いていますね。「僕のお酒だ」って。
竹村:小野さんに声を掛けていただくだけではなくて、「雨音」の楽曲をずっとお酒に聞かせ続けているんですよ。
音の振動で酒の熟成に関わる微生物に影響を与える「音響熟成」という手法です。
−−初めて櫂入れをしたときにどんな感じだったか覚えておられますか?
小野:……神秘的でした。「神の領域」というか。
お酒ってそもそも神様へのお供え物ですものね、「口噛み酒」からはじまって。
司牡丹の会社の前には「杉玉」があって。「そういえばこれ、子どもの時に見てたな!」って。
杉玉って神様に捧げる物を作っている証で、神聖なものだと思うんです。気が引き締まりました。
「この先に足を踏み入れていいのかな……」って、櫂入れの時は徹底的に消毒して、1本たりとも髪の毛が落ちないように帽子も被るんです。とてつもなく繊細な作業だなと思いましたね。
竹村:櫂棒に、小野さんのサインも書いてもらいました(笑)。
小野:「せっかくだから書いてくださいよ」って言われて(笑)。
「いいの!?」って思いながらも「小野大輔」と。
竹村:ファンの人が見に来てくれて、みんな写真撮っていくようになりました(笑)。
小野:小学生の時にサッカーをやっていたんですけど、家から自転車で司牡丹の脇道を通ってサッカースクールに通ってたんです。で、また自転車で帰ってくる。
その時、もう「フワーっ」て香るんですよ、通るたびに。それこそ「吟醸香」が。
僕にとって司牡丹は子供の頃からの原風景で。でも足を踏み入れたことはなかった。
そこで何が行われてるのか。どうやってお酒を造ってるのか。
それがいま、全部がバーっと知識として入ってきて。「この町はすごいぞ」と。
「こんな酒造があるんだ」っていうことを誇りに思ったんですよね。
竹村:……ありがとうございます。
−−小野さんの子供の時とも繋がってもいるんですね、「雨音」は。
日本酒のプロが「雨音」に感じたハードル

竹村:……ただ、あの、「AMAOTO」に関して小野さんには今日初めて話すことがありまして。
小野:なんですか?
竹村:楽曲「雨音」を日本酒にすると決まった時、正直に言うと、こう思ったんです。「お酒の名前に『雨』!? しかも楽曲のテーマが『死別』!? そんな悲しい酒、絶対売れんやろ!」って(笑)。
一同: (爆笑)
小野:「絶対売れんやろ!」って言い過ぎ!(笑)
竹村:「暗い楽曲をお酒に聴かせたらどうなるんだろう……」とも思いました(笑)。
でも考え直したんです。「微生物(酵母)には歌詞はわかんないから大丈夫か」って(笑)。
小野:杜氏(とうじ・酒蔵で酒造りの全工程を統括する最高責任者)の方も交えてお話を伺った時に、「酒蔵の中で人の仲が悪いと、お酒の質が落ちるんですよ」ってお聞きして。
つまり「言葉」が大切なんですね。悪い言葉が飛び交ってしまうと、微生物の働きが鈍ってしまう。それって面白いな、と。
竹村:酒蔵には「和醸良酒(わじょうりょうしゅ)」っていう言葉があるんです。
「みんな仲良く作ることが、良い酒を作る一番の肝だ」という意味で。
良い音と言葉、そこから生まれる良い雰囲気がお酒の仕上がりに影響するんじゃないかと。
小野:そういう意味では、悲しい歌詞だけど山田さんの作ったメロディーが良かったってことでもあるんじゃないですか?
竹村:そうですね。曲調は優しいし癒されるから、微生物にもいい影響があるだろうと(笑)。 それから、お酒の名前はローマ字の「AMAOTO」にしたり、ラベルデザインには漢字の「雨」をあまり出さないようにしたり……実はいろいろと工夫したんですよ(笑)。
お酒としての「AMAOTO」の実力

竹村:「AMAOTO」っていろんなお酒の賞を貰っているんですよ。
令和2年 「全米日本酒歓評会 2020」金賞、「Kura Master2020」金賞
令和3年 「全米日本酒歓評会 2021」金賞(2年連続)
令和4年 「全米日本酒歓評会 2022」金賞(3年連続)
令和5年 「全米日本酒歓評会 2023」金賞(4年連続)
令和6年 「全米日本酒歓評会 2024」金賞(5年連続)
「SAKE COMPETITION 2024」銀賞
令和7年 「東京SAKEチャレンジ2025」金賞
「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)」、SAKE部門銅賞
竹村:これだけずーっと賞をもらえているのは、やっぱり小野さんあってのことだと思います。
小野:本当ですか?
竹村:はい。「AMAOTO」が評価されているのは、「香りと味」ですよ。これは小野大輔さんのイメージで造り込んだものですから。
「香り」は華やか。でも「吟醸」まで華やかすぎない。だから「純米」。それでいて吟醸感もあるところが良い。
「味」は、やっぱり「辛口」だけれどもフワッと膨らみ、包容力があるイメージ。
そして「後口のキレ」が良い、スカっとしてるというのは必要ですから。
そういうことを考えたうえで、酵母を3種類ブレンドして「パイナップル系の香り」を出しました。かつ、その香りを抑え目に「ほのかに出す」というイメージです。
小野:そこまで考えられていたんですね……。 僕自身も控えめに香るお酒が好きですし、自分の声優としてのあり方も、「役より前に出たくない」と考えています。そことも重なりますね。
「軽い一言」から生まれた日本酒「Delight」
−−司牡丹の日本酒には他にも、小野さんのちょっとした提案がきっかけで生まれたものもあるそうですね。
小野:「AMAOTO」の仕込みで帰った時に、僕が軽はずみに「スパークリングとか造ったら売れると思うんですよね」って言っちゃって。
竹村: 私が「それは……『瓶内二次発酵』のものですか?」って聞き返したんですよね。そしたら小野さんが「そうです、瓶内二次発酵です」って即答されて 。
小野: あの……正直に白状します。その時、完全にハッタリかましました 。
「(瓶内二次発酵……? わからんけど……)あ、もちろんそれです!」って。
一同:(爆笑)
竹村: 私は「うわ、本格的なやつをご所望だ!」と思って(笑)。
瓶内二次発酵って、専用の機材が必要でめちゃくちゃお金がかかるんです。でも「新商品開発の補助金申請をして、通ったらやりましょう」と言ったら、通っちゃったんですよ。
−−そこからまた新しいチャレンジが始まったわけですね。
竹村:将来的にスパークリング日本酒は、世界の市場で通用する一つの分野になるだろうっていう考えは持っていました。今すぐ売れなくても、シャンパーニュみたいに乾杯のお酒として定着するようになるだろうし、チャンスがあれば造りたかった。
だから、この機会はラッキーなものだったんです。こんなに大変とは思ってなかったですけど(笑)。
小野:そんな軽はずみの一言からだったので、「AMAOTO」と違い、僕は関わっていないのですが、「お酒の名前はどんなのがいいですか?」と聞いてくださって、「Delight」の名前を提案させていただきました。
竹村:で、発売から3年目。
フランスのパリで行われる一流ソムリエが審査する日本酒コンテスト「Kura Master2024」に出品したんですが……なんと「金賞」の上、「プラチナ賞」を受賞したんです。
そして、出品数が1000銘柄を超える中の「トップ24銘柄」に選ばれました。
小野:おぉー!
山田:すご!(笑)
世界に出て行って、世界で評価されて。でもそれも、小野さんの「ポロっと喋ったこと」から始まってるんですね。

「AMAOTO」が切り開いたビジネスの可能性
−−音楽の話、お酒の話、裏話……いろいろと伺わせていただいて、めちゃくちゃ面白いです。ここからもう一歩踏み込んで「ビジネス」としての「AMAOTO」についてもお聞きします。
高知県のアーティストが、高知県の酒造と繋がって、新しい物を作る。これは「地域創生」、「地域ビジネス」的な側面もあるなと思います。「音楽の力」×「アーティストの力」×「地場企業」で作ったものが世界に出ている。すごく面白いと思うんです。
まず経営者である竹村さんに伺いたいんですが、「AMAOTO」が会社、経営にもたらしたインパクトって、どんな感じでしたか?
竹村:そうですね。コロナ禍の時、地酒メーカーは本当に悲惨でした。そんな中、「AMAOTO」のファンの方々が支えてくれたんです。
特に3年目、コロナの影響で越県が許されず、小野さんが櫂入れに来られなかった時が一番のピンチでした。本来なら「今年はご本人が来られませんでした」とがっかりさせてしまうところですが、小野さんがリモートで、画面越しにもろみに生歌を聴かせてくれたんです 。
小野:そこは心意気ですよね。
最初に「小野大輔プロデュース」ということがあれば、必ずしも毎年地元に帰って櫂入れをしたり、声を掛けたりしなくても成立するとは思うんです。
でも、竹村社長は「実質的に関わっていること」を大事にしてくださっている。だから「3年目にも“特別感”をつけたい」ということでリモートであったとしても、と声掛けと歌を届けました。
コロナ禍が終わってからも「帰ってきてください」っておっしゃってくださるし。だから僕もスケジュールを調整して、必ず帰るようにして、毎年、生の声を掛けるようにしています。
そういう誠実なものづくりをしていることに価値を感じてもらっているんじゃないかと。
竹村:小野さんの誕生日に「AMAOTO」を飲むオンライン飲み会を勝手に開いたこともありました(笑)。5周年の時にはファンの皆さんから「ぜひ小野さんに参加してほしい」と言われて、それはさすがに無理だろうと思ったんですが……。
小野:東京の料理屋さんに竹村社長がいらしてくださって、そこに参加させていただいて。初めての経験でしたけど、面白かったですね。
竹村:本当に「ファンと一緒に造っているお酒」だと実感しました。
「AMAOTO」のファンの方は、もともと「小野さんファン」として入ってこられた方が多いので、普段日本酒を飲まない人も多いんです。
日本酒好きが日本酒に馴染みがない人に「美味いから飲め!」って言っても飲みませんが、普段日本酒を飲まない人が「このお酒なら飲めるよ!」と広めてくださった。
その方が、興味も持ってもらえるし、信頼度も高いんですよね。
小野:POPに「初心者向け」って情報を足してますものね。
竹村:はい。日本酒は普段飲まないけれど「AMAOTO」だけは飲める、っていうファンの方が、すごく多いんで。
それはもちろん小野大輔さんがいて、そのおかげだけれども、純粋に「香りと味」がいけるって言ってくれているので。それはありがたいことなんです。
小野:だから、さっき仰っていた、あんまり突出させない味・香り造りをしたからこそ、万人に受け入れられるような、初心者にもお勧めできるお酒になった、ということですよね。すごい……。
「AMAOTO」が切り開いたアーティストの可能性

−−いま伺ったことは他のメーカーさんにとっても「こういうやり方もあるのか」「こんなことが起こるのか」という発見がある話だと思います。
アーティストの立場で見た時に、「企業と一緒に商品を作る」みたいなことってありますか?
小野:「雨音」の作曲をしてくださった山田さんの目線もすごく知りたいです。最初、どう思いました?
山田:びっくりですよ(笑)。「え? お酒になる?」みたいな(笑)。
当時はただの作曲家でしかなかったんで「なんで?」って感じだったんですけど、その後に自分で会社を立ち上げて、企業さんと積極的に組んで、ビジネスに音楽を活用した取り組みをいろいろやり始めました。
だから今となっては、この「AMAOTO」の話、めちゃくちゃ面白いなって思います。
竹村:今日のこの座談会も、山田さんが声を掛けてくださって実現してますからね。
山田:企業の経営者さんって、本当に面白い方が多くいらっしゃって。本当にアーティストみたいなんですよね。
小野:じゃあ山田さんは今、企業さんとお仕事をしていく中で、いろいろな他ジャンルのコラボレーションが生まれているわけですか。面白い……。
僕には、そんな発想があんまりなくって。たまたまなんですよ、「雨音」がお酒になれたのって。
でもひとつすごく助かったのは、竹村さんが「前のめり」だったことです(笑)。
言ってみたら「やりましょう、やりましょう」って言ってくれたこと。
竹村:やっぱり面白いことを始めるのって、楽しいじゃん(笑)。
自分が面白いって思ったら、多分お客さんも面白いと思ってくれる。面白いと思えれば、やってもいいのかなって。
小野:それが原動力なんですね……。
山田:やっぱり、企業の方がそういうマインドでいてくださるといいですよね。
−−こんな話が高知県から生まれたのが、高知県出身の者としてすごく心から嬉しいんですけど、たとえば全国の地酒メーカーさんが「その県出身のアーティストとオリジナル地酒を造る」みたいなこともできますよね。
竹村:できますね。「声優酒」みたいな。
それで対決しても面白いですよね。
一同:(笑)
小野:声優さんでお酒造っている人は他にもいるみたいですよ。
安野希世乃さんとか斉藤壮馬くんとか。
−−じゃあ、もう「対決企画」ができちゃうんですかね?
小野:その中でも、もろみに直接声をかけて歌まで聴かせてるのは、ウチだけでしょう! これはウチの特許ということで(笑)。
おわりに:悲しみを越えて「乾杯」へ

−−これまで「雨音」「AMAOTO」のことを、こんなに改めてギュっと話したことってなかったと思うんですよ。
今この話をした上で、「雨音」をこれから知ってくれる人とか、飲んでくれる人、出会う人たちにどんな想いを伝えたいでしょうか?
渡辺:「雨音」で描いているような悲しい別れや死別じゃないにしろ、誰にでもいろんな別れがありますよね。そんな中でも最後にはポジティブに「明日も生きていこう」という曲が「雨音」で。
そういう、何かを乗り越える時に聞いてもらえる曲になると嬉しいです。
山田:僕は2年前にお酒が飲めなくなってしまったので……(笑)。
だから、僕の分まで皆さんに「AMAOTO」を楽しんでほしいです! 心からの願いです。
竹村: 私はね、大学時代に「一気飲みブーム」があって、美味しくない日本酒を無理やり飲まされて。日本酒が一番嫌いな酒になった時期があったんです。
やっぱり「最初に出会うお酒」って重要なんです。マズいと一生敬遠することになる。
でも、「AMAOTO」から出会ってりゃそんなことはないわけですよ!
「AMAOTO」を一気させる先輩もいないでしょうから(笑)。
だから「AMAOTO」が「出会いのお酒」になっていただければ本望です。
小野:実は先日、12年前にアニメ『ばらかもん』で共演した子役の子たちが20歳を迎えたんです。
「なる」「ひな」「ケン太」……あの子たちが立派に成人したので、「AMAOTO」で乾杯したんです。
一同: おおー……!
小野: やっぱりお酒は「ハレの日」のものなんですよね。
拓ちゃんも言ってくれたけど、「雨音」は悲しい別れの楽曲かもしれないけれど、そんな中から「うつむいている自分が上を向く曲」だと思うんです 。
空を見上げて。雨はやがて上がり、僕らは前を向いて生きていく。
これから人生を歩んでいく人たちに、届けたい曲、お酒だなと、改めて思っております。
あの楽曲と一緒に、これからも末永く愛してくださると嬉しいです。
