プロに誘われるほどの実力者が、兼業芸人を選んだ3つの理由。石橋わたるが繋ぎ拓く、関西「兼業芸人」の新時代

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関西発・インディーお笑い新潮流

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プロに誘われるほどの実力者が、兼業芸人を選んだ3つの理由。石橋わたるが繋ぎ拓く、関西「兼業芸人」の新時代

今、「笑いの本場」大阪で新たなムーブメントが起きています。それは社会人・兼業芸人たちの活躍。彼らは二足のわらじを履き、プロとはひと味違うハイレベルな笑いを追求し続けています。

今回そのシーンの中心に立つ一人、石橋わたるさんに話を聞きました。彼は、プロ・アマ問わず出演できる劇場「楽屋A」の星と称され 、現在プロとして活躍している先輩芸人から「おもろすぎるから、プロに誘ったのにならないのは残念だ」と言わしめた 、屈指の実力者です。

なぜ彼はプロの道を選ばず、正社員として働きながら、ハイレベルなアマチュア芸人として活動し続けるのでしょうか。その道を選んだ「3つの理由」と、彼が関西お笑い界に作ろうとしている新しい文化の姿をひもときます。

誰かを喜ばせたい。お笑いは「サービス精神」から始まった

幼い頃から人を楽しませることに喜びを感じていた石橋さん。彼にとって、お笑いは「誰かとつながるための大切な手段」だったのかもしれないと語ります 。

―― お笑いはいつ頃から好きだったんですか?

幼少期からですね。家族がみんなお笑い好きで、番組をよく見ていて、気付いたら好きになってました 。で、その時に、テレビの真似をすると、家族が笑ってくれて、自分が人の感情を動かしている感覚が嬉しかったし、反応を見るのが楽しかったんですよね。

母親が言うには、人を笑わせたいっていう気質はどうも生まれつきらしいんです。言葉を喋れない赤ん坊のときから、親が僕自身の動作で笑ったのを見て、すぐにもう一回同じことをして、笑わせようとしてたらしいです。

だから成長するごとに、笑わせたい対象が家族から友だち、その周りの人……って徐々に広がっていって、今はもう知らん人の前で笑いを取りたいっていうところまで来たんでしょうね。

―― 自分でやるようになったのはいつだったんでしょうか?

高校の修学旅行のときが一番最初ですね。そもそも僕はネタをやる側になるつもりはなかったんですけど、友達に「お前面白いと思うからネタを書いてくれ」と誘われて。そのとき初めてやってみようかなって思ったんです。その友達が誘ってくれんかったら、たぶん僕はずっと見る側のままだったと思います。

―― ちなみに、どんなネタだったんですか?

「ダイマル・ラケット」とか、「いとし・こいし」とか 。70年代ぐらいのベタな漫才にちょうどハマってて 。

当時、高校生らしくないクラシックな漫才を、父親に借りた灰色とベージュのスーツでやりました 。それが逆にウケたところがあるんですけど。当時からもう、テンポよくボケたり、笑ってもらいやすそうな流行りネタをやるのが、なんか恥ずかしくて。あえて古いクラシックなものをやるっていう「逆張り」の感覚はありましたね 。

プロも認めるお笑いエリートがアマチュアの道を選んだ「3つの理由」

お笑いの楽しさに目覚めた石橋さんは、大学でお笑いサークルに入り、メキメキと頭角を現します。その実力は、プロの芸人も舌を巻くほどでした。

大学時代は、先輩たちが作ったできたてのサークルに入りました。3回生ぐらいから同期とコンビを組んで本格的に活動しました。特に最後の4回生の年に結構いい思いをさせてもらったんですよ。大学お笑いの大会の決勝に行けたり、M-1の予選で2位通過して公式動画に載せてもらったり。その流れで吉本の劇場にも出させてもらったり……。

―― そこまで成績を残すことができていて、プロの道は考えなかったんですか?

僕は割と現実主義者なんで、「ここが頂点だろう」と、ピークだと思ってしまったんです。もうこんなにいい思いさせてもらったら十分かなと。それが卒業間際の時期でした。

石橋さんは大学卒業後、正社員で安定した収入を得ながら、自分の理想のお笑いを追求する道を選びます。この選択は、3つの明確な理由があってのことでした。

―― なぜアマチュアで芸人をし続けることを選んだのでしょうか?

これ、理由が3つあって。1つ目は僕が「現実主義で安定志向」だからです。結果が出たりすると、夢が膨らむことは確かにありました。でも、その時ですらプロの世界は厳しいと冷静に悟っていました。僕は割と先のことを堅実に考えてしまう人間なんですよね。まずは食い扶持と生活を安定させることが大事やなと思って、就職することは最初から決めていました。

―― 確かにお金がないと、精神的に参ってきてしまうし、結局アルバイトに明け暮れて、自分が今なにをなんの為にやっているのか分からなくなってしまいますしね。

はい。それと同時に、普通に個人的なことなんですけど、僕はそもそも性格がプロに向いてないと思うんです。他人に指図されたくない人間というか、自分の作ったものにとやかく言われたくないんですよ。創作に関してはプライドが高いくせに、指摘されたら正面から食らってしまうメンタルの弱さもあるんですけど(笑)。

プロってやっぱりお客さん相手の商売なんで、関係者から「ああした方が良い」「ここはこうした方が勝ちやすい」ってダメ出しが必ず来るじゃないですか。もちろん芸の上達には大事なことなんですけど、それに縛られるのがイヤで。

―― 自分の「面白い」の照準を観客に合わせるのではなく、自分に合わせたままが良かった、と。

そうなんです。アマチュアやったら、自分の思うお笑いを”100%”やれる。思いついて面白いと思ったらやってみて、ウケなくても自分で修正していく、という過程が好きなんです。「自分のネタを好きにやりたい」っていうのが、2つ目の理由ですね。

今は特にコンプライアンスもあって、プロの芸人さんが言ってしまうと問題になるような「毒」を舞台で言えるっていうのが、アマチュアならではの表現になっているかもしれません。

―― 確かにコンプライアンスは厳しくなる一方ですもんね。では、3つ目の理由を教えてください。

そうですね。3つ目の理由は「どこかに所属をしなくても趣味でお笑いができる環境が整ってきていたこと」です。

加藤さん(楽屋Aオーナー)や、僕よりだいぶ年上の先輩方が 、社会人としてお笑いをやることが冷遇されていた頃から、決しておかしい ことじゃない 、という空気を醸成してくれてたんです。そのことに勇気をもらったし、背中を押されたんですよね。で、しかもその仲間に僕も入れてくれた。

関西で「働きながらやる」というロールモデル を先人達が一生懸命作ってくれていたことにも感動して。そこに僕の居場所まで作ってくれて、こころよく受け入れてもらえて嬉しかったんです。

―― だからお笑いを辞めるのではなく、アマチュアとして活動していくことを選択できたのですね。

「苦しい生活の中、好きなお笑いを追求している」…それが芸人にまつわる「カッコいい」ストーリーとして語られがちです。しかし、生活苦や、そこから来る社会からの孤立感や劣等感にさいなまれて、道をあきらめてしまう人が毎年数え切れないくらいいます。生活を犠牲にしてまで笑いに向き合うことだけが、芸を高めることなのでしょうか?生活が安定しているからこそ、芸に磨きをかけることもできる。そういうことを石橋さんは先輩たちから教えられ、今も自分の中のお笑いと日々向き合い、後世にも引き継いでいこうとしているのではないでしょうか。

関西社会人お笑いの「結び目」として

―― アマチュアの道を選んだ石橋さんは、現在、関西のインディーお笑いシーンに新たな文化を築こうと動いています。それが、2025年4月から立ち上げに携わっている「関西社会人お笑い連盟」です。

立ち上げメンバーの一員として、ライブの主催団体を作りました。目的は、社会人芸人が集まるライブを定期的にやることと、社会人お笑い人口を増やすことです。

―― それが、アマチュアを選んだ3つ目の理由に繋がるんですね。

はい。僕がちょうど大学を卒業するタイミングで、近い年齢のアマチュア芸人が関西に全然いなかったんです。でも、自分はだいぶ先輩の社会人と関わりがあり、この人たちからたくさんの学びを得られている。しかも、後輩の学生とも関わりを持てている。このタイミングで自分が動き出したら、先輩方から教わったことを伝えたり、両者を繋げることもできて、社会人お笑いを発展させるための環境が整うんじゃないかと。学生と社会人の「結び目」になりたい思いがあったんです。

―― なるほど。関西の社会人お笑いシーンはまだまだ発展途上で、まだまだ成長の余地がある。ただ世代に溝があることで、その発展を妨げている、そこを繋げることが自分にできることなのでは、と。

そうですね。で、もっと社会人お笑いの文化を関西で盛り上げたいなと思って、今年から「関西社会人お笑い連盟」を立ち上げました。

―― なんと!?立ち上げの経緯はなんだったのでしょうか。

東京は社会人お笑いの文化が成熟してきてます。元々学生お笑いが盛んで、その卒業生が「わらリーマン」という社会人お笑いの協会などが主催するライブで活動を続けてたりもするんです。

わらリーマンは「趣味としてのお笑いを当たり前に」をモットーに社会人お笑いのライブを定期的に開催している大きな団体で。優秀な同期の裏方スタッフ がそのノウハウを東京に行った時に勉強して、大阪に持って帰ってきてくれました。それで、「大阪でも社会人お笑いを盛り上げよう」って僕のことも誘ってくれて、協力することにしたんです。

文化の発展には人口の増加は必要不可欠だと思うんですが、まだまだスタートに立ったばっかりということもあり、演者も運営も人口が少ないのが現状の課題です。でもそれを打破するにはなんとかして門戸を広げないといけないので、試行錯誤しています。

だから僕は今、社会人で、演者で、裏方なんですよ(笑)。正直、 大変です!誰か一緒にやりましょう!少しでもご興味がある社会人の方は、演者・裏方問わずいつでもお待ちしております!

ダークな設定を「関西弁ツッコミ」で笑いに

安定した正社員の仕事と、こうしたお笑いの活動を両立することで、石橋さんの人生は充実していると語ります。ネタ作りにも、兼業であることがプラスに働いているようです。

ネタは、生活の中でふと思いついた状況を広げて作ることが多いです。働いている経験から着想を得ることもありますし、兼業というところが芸にプラスに働いていると思います。

―― ネタに影響を受けている芸人さんはいますか?

好きな芸人さんには全員影響を受けてるんですけど、その中で今の芸風に繋がる部分に絞ってお話しします。

いま僕はピンネタやコントをメインにやってるんですけど、中川家さんがすごく好きで。中川家さんはナチュラルな関西弁でコントをされるじゃないですか。僕は、セリフっぽいコントが合わない気がしていて、普通の関西弁で喋ってる方が、いつも通りで恥ずかしくないんですよ。

あと、さらば青春の光さんや、チョップリンさんも近いところがありますね。

―― どんな点に影響を受けているんでしょうか?

チョップリンさんは、シュールでぶっ飛んだ設定のコントを、コテコテの関西弁でやられるんです。さらばさんも、設定は結構ダークで意地悪なんですけど、関西弁のツッコミがマイルドにする。

超現実的や深刻な設定でも、関西弁だったらお笑いになるって僕は思ってるんです。だから僕は、あえて関西弁コントというスタイルを崩さないようにしていますね。

「面白くなかったらお金返します」100%をぶつける単独ライブ

「プロの制約」を避け、自分の信じる笑いを追求する石橋さん。その情熱は、ついに2025年11月23日に単独ライブという形になって結実します。

―― 兼業芸人としての集大成となる、初の単独ライブを控えていますね。意気込みを教えてください。

はい。どう表現しようかと考えたんですが、「社会人が私財と余暇を投げ打った、唯一無二のライブです」と。お金も時間もめちゃくちゃつぎ込んでいますので。

―― どんなライブになりそうでしょうか?

僕のピンとユニットで14本のネタと新作映像10本を披露します。プロの劇場とか、学生のライブとか、どっちでも見れないような唯一無二なことをやります。

もう、作家に怒られるだろう、寄席ならお客さんも引くだろうみたいなネタでも(笑)、僕が面白いと思う100%を、誰の指図も受けずにぶつけます。そのためにこの道を選んだんだ、ぐらいの感じです。もちろん社会人としてのモラルはありますのでそこはご安心ください。

―― 楽しみにしています!最後に読者へメッセージを。

お笑いに関してプライドが高いので、面白さだけは保証します。「面白くなかったらお金返します」と、公言します。それぐらい自信があります。

今の僕のすべてを賭けている 集大成です。社会人3年目の最高到達点にして、観た方は他に類を見ないお笑い体験ができるようなライブになっているので、ひとりでも多くの人に見て欲しいです!

石橋わたる第1回単独公演「道化師」
https://twitcasting.tv/butaisode_katoh/shopcart/377984
(アーカイブ配信:2025年12月7日(日) 23:59まで)

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https://x.com/Hajisarashi16

ライター紹介

後藤華子
サブカルと外食が生きがいのアラサー人妻ライター。
ライブハウスと居酒屋が実家です。
短所は好きなものの話になると、早口になるところ。

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