私の現実はお芝居の中にある――『わかさ生活ラジオ』アシスタント・伊藤有輝子さんのライフヒストリー

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ライフヒストリー

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私の現実はお芝居の中にある――『わかさ生活ラジオ』アシスタント・伊藤有輝子さんのライフヒストリー

イントロダクション

わかさ生活には、多様な経験と個性を持つ社員が集い、それぞれの人生を輝かせています。その一人ひとりの物語をたどることは、仕事の向こう側にある「生き方」を探る旅となるでしょう。

今回ご紹介するのは、広報活動やラジオ番組『わかさ生活ラジオ』のアシスタントとしておなじみの伊藤有輝子さんです。幼少期から「お芝居の中が自分の現実」と信じ、高校演劇をきっかけに本格的に女優を志した伊藤さん。プロデュース公演や、「人生最大の大冒険」と語るロンドンへの語学留学を経て、たどり着いたのが“声”を使う仕事でした。

女優、留学生、ツアーガイド、そして現在の広報・ラジオアシスタントへ――。軽やかに人生のステージを渡り歩いてきた伊藤さんが語る、これまでのすべての経験が活きる現在の仕事。その豊かなライフヒストリーを、じっくりとお届けします。

私の現実はお芝居の中にある 伊藤 有輝子

―― 役者を志しておられたということを聞きました。

思い返せば、割と小さい頃からおままごととかお姫様ごっことか好きでした。お兄ちゃんを家来とかにしてよく遊んでたんだけど。

―― 自分がお姫様?

自分がお姫様で。お人形さん遊びをお友達とした時も、お姫様みたいな服着せたりとか、ごっこ遊びが好きで。で、小学校のお楽しみ会とかでも、「スーホの白い馬」のお芝居かなんかやった。自分ですごい積極的に参加して何かやったり、紙芝居やったりとか好きだった。でもその反面、めっちゃ恥ずかしがり屋だったの。意外でしょ。

―― 今「意外」って言おうと思ったら自分で言いましたね(笑)。

言っちゃう(笑)。

前に出たくない、みんなと一緒じゃないと恥ずかしいっていう、割と、なんか、そんなに出たがりではなかった。高校演劇で初めて舞台に出た時も、恥ずかしくて恥ずかしくて、「もう私のこと見ないで~」ぐらいの気持ちで出てた。だったんだけど、やってくうちに、なんかやっぱり面白くなっちゃって、そのうち、「私を見て!」みたいな、逆に「主役じゃなきゃやだ」ぐらいになって。なんか、ハマって。で、うちけっこう進学校だったから、本当は大学に行くはずだったんだけど、どうしてもお芝居をやりたくて。高校3年の受験の時に、地元の近いところでミュージカルやるっていうので、それに参加したら。すごい、面白くて。ミュージカルで、歌って、踊って。

―― え、踊るんだ!

ローカルなミュージカルなんだけど、それで、大学より、「私はこっちの道を目指したい」「女優になりたい」って思って。で、専門学校に行こうと思った。

で、そん時、うち特に、特進クラスだったから、全員「関関同立が当然」で、その中で、専門学校に行く人が出たっていうので、学校中大騒ぎになっちゃって(笑)。国語の先生とか、全然関係ない先生から呼び出されて「専門学校行くんだって?」とか、なんかすごい問題児みたいになっちゃった。

―― そんなにダメなの、みたいな。

クラスの友達からも、「伊藤さん専門学校行くんだって?」とか言われ、果てには、友達のお母さんにも、「専門学校行くって聞いたんだけど、おばちゃんは大学行ってほしかったなー」って言われ。

―― えええ。

親にも言われたことないのにと思って。そんなセンセーショナルな進路だった。

―― なるほどね。親は?

割ともう、「やりたいならやったらいいんじゃない」って。

―― それは、自主性を重んじてくれたのか、諦められてたのか。

あー、多分、私が演劇にはまってるっていうのは知ってたから。うちの親は、高校演劇とかの私の舞台を1回も欠かさずビデオを撮りに来てくれてて。そのためになんか集音マイクとかも買ったし、今でも、私が出た舞台は1つ残らずコレクションしてあって、一番の応援者でもあるし。

言い出したら、聞かないっていう性格もわかってたし。親としては、やっぱりいい学校に入れて、いい大学に行かして、いい就職先をっていうレールだったんだけど。反対される前に私、自分で決めちゃったから。願書出して、もう入学決まってから、「私ここ行く」みたいな。

―― で、学費出してみたいな。

そう(笑)でも、専門学校って高いのよ、お金がね、やっぱり結構大変だった。

―― 専門学校って、2年?

うん、2年でも結構。ただ、自分がこういう夢を持ってるっていうことに対して、やっぱり一番応援してくれてた。「やりたいんだったら」っていうことで行かせてもらえた。

―― ご両親とも? えー、なかなかないよ

うん。「でも、もう私決めたから」みたいな。

―― ユキコはもう…

そう、わがままだったから。わがままユキコって言われてた。お兄ちゃんは私と180度違って超真面目なのに。年子のお兄ちゃんは真面目にちゃんと勉強して、大学行って、ちゃんといいとこ就職して、ちゃんとした道を進んでる。

―― 年子なんだ。年子だったら普通に遊んでた?

うん。実はお兄ちゃんも演劇部だった。高校の演劇コンクールで、私たち、同じ地区で争ったことがあって。

―― 実は私も全く同じ年に高校演劇をやっており。

まじ。小劇場、全盛期だったでしょ。惑星ピスタチオとか。

―― そう!

キャラメルボックスとか。

―― そう! そうなの。

「俺たちは志士じゃない」っていう、梅田にあるシアタードラマシティで、キャラメルボックスと惑星ピスタチオの合同公演があって。観に行ったんだけどさ、超絶感動して。腹筋 善之介さんとかさ、佐々木蔵之介さん。平和堂ミラノさんとか。

―― えー、そうだったんだ。好きだったねえ。

うん。劇団四季のミュージカルの「ユタと不思議な仲間たち」という劇を脚本に起こして、それを高校演劇でやったりとか、あれだ、いたずら好きの妖精パック。「真夏の夜の夢」の。

―― シェイクスピア。

それで、そっちの道に進んで、専門学校に。

―― やっぱり、高校演劇って、なんだろうね、何の見返りもなく。

熱いよね、ただただ情熱でやって。

―― そうだけど、それが社会人とか大学生になったら、やっぱりお金の問題とか出てくるし。

いつまでもこんなことやってていいのか。みたいな。

―― ノルマとかもあるけど、それがやっぱ全然すごい恵まれた環境でできてたなって思って。

うん、全部学校から出てたしね。衣装代とかもね。

―― 顧問の先生にも、すごいお世話になった。

今思ったら、あの先生、夏休みも私らのために出てきてくれてた。

―― この日やりますとか言っても、えー?とか言わずに、来てくれてね。

―― なんで役者をやってたの。

プロの役者を目指してて、専門学校卒業してからも、たまたま縁があった小劇団に入って、で、何作か舞台出演して。そしたら、なんか他の小劇団とも繋がりできて客演とか呼ばれるじゃん。で、他のとこ出たりとかしながら、もう30手前ぐらいまでずっとお芝居してた。
いや、うちらの時ってさ、フリーター全盛期だったから、役者って、就職しない人も多くてね。フリーターしながら役者するみたいなのが多くて、私もそんな感じで。

―― どこの劇団に入ってたの。

大阪の、本当にちっちゃい小劇団。
たまたまね。高校3年生の時に、奈良の地元の町にホールができたの。大きなホールが。田舎のちっちゃい町なんだけど、そこに綺麗で、大きな舞台ができて。なんでかわかんないけど、活性化じゃない?(笑)
で、綺麗な図書館と、なんとかセンターみたいな、その舞台のこけら落としに、お芝居をしようってなったのね。

―― いい取り組みやね。

その時に、指導役として呼ばれたのが、その大阪の劇団だった。私、高校3年生だったんだけど、ミュージカルも終わって、楽しかったなと思ってたら、たまたまそれが来て、で、ストーリーテラーの役で私も参加して。その公演で知り合った小劇団の人に、実は3月から大阪の学校に通うんですって話したら、よかったらうちおいでよって言われて。で、そこからもうのめり込んでね。

もうね、芝居の方が自分の現実だと思ってた。普段働いてる私はもう本当の私じゃなくて、私の現実はお芝居の中にあるって信じてた。だから、常にお芝居が始まるのが楽しくてしょうがなかった

―― やっぱ本番が楽しい?

本番もそうだし、多分稽古が好きだったんだろうね。みんなでワイワイして。で、稽古終わった後、ちょっと飲みに行ったりとか、みんなでワイワイして作り上げるっていうのが、多分すごく楽しかったんだろうね。終わってからの打ち上げとかね。もちろん舞台も楽しいし、お客さんに見てもらうのも楽しいし。
で、最終的には自分でプロデュース公演をするようになって。

―― そうなん。すごい。お芝居だけじゃなくて?

役者でも出るんだけど、自分の作った世界の芝居がやりたくなるのよね。やっぱやってくとさ。私はこういう役がしたい。こういう世界のお芝居がしたいっていう。台本は書けないけど、やりたい物語は持ってるわけよ。で、それを知り合いの脚本家に脚本にしてもらって、自分でプロデュース公演。

―― うん。演出も?

演出はしてもらった。だって、私、出たいもん。主役で(笑)。

で、そうそう。一番最初にやったプロデュース公演が、たまたまなんだけど、自分のお誕生日の日にかぶった。だから、「お誕生日公演」。若さだよね。若いからできたんだよね。そんな名目つけられたら誕生日プレゼント持っていかないわけにいかないじゃん(笑)。

―― アイドルだね。アイドル。

うん。そんなプロデュース公演を何回かやって、でももうなんか30近くなるし、やっぱりこれでご飯食べれないっていうのはもう明確にわかるわけ。死ぬまで役者やりたいっていう人と、30を機になんか考えちゃう人って分かれると思うんだけど。お金はすごくかかることで、収入にはならないっていうのは薄々感づいてきちゃうわけで。で、東京に行こうかなとも考えたんだけど、やっぱ、行けなくて。プロデュース公演、何回かやって、もう、なんか、燃え尽きちゃったというか、気が済んじゃったという。あと、自分の伸びしろに伸び悩む時期って、やっぱあるやん。才能というか。「私、これ以上やってもうまくならないみたいな」っていうのもあって、だんだん、情熱がさ、こう、冷めてくるわけよ。

でも、私、演劇しかしてこなかったから、それがなくなったら、何もないわけよね。じゃあ、何して生きていけばいいんだ。みたいな。

―― で、何したの?

それで、海外に出ることにした。

―― ええええ!

いろいろやったけど、一生に一度は海外に住んでみたいっていう憧れもあって、一回飛び出てみたいなと思って、演劇も踏ん切りつけたことで、留学っていうことを考え始めて。

―― 留学!?

語学留学で1年。ロンドンに。

―― すごい、演劇の本場じゃん。

まあね、おかげでいっぱいミュージカル観に行けてよかったけどね。シェイクスピア劇場も行ったし。なんとなく、私、ヨーロッパに憧れがあって、どうせ行くならヨーロッパと思って。クイーンズイングリッシュがいいなとかって、勝手にさ、違いもわかんないくせに(笑)。行くまでは本当わかんなくって、ただ、治安の良さとかもあるし。で、ロンドンオリンピックが開催される年だったからね、ちょうど。

―― 2014年?(正しくは2012年)

ただ、もう30歳超えてたし、ワーキングホリデービザは取れない。でも、たまたまそん時に、語学学校に行くなら許可してくれるっていうビザが都合よくあったの。語学力なんか全くなかったから、学生ビザも取れなくて。なんとかビザが取れることがわかって、初めて、本当に生まれて初めて1人で海外に。人生最大の大冒険を。

―― 人生のターニングポイント?

ターニングポイントだね。

―― ね、やっぱり冒険。

大冒険だよー。そう考えると、その時日本にイギリス人の英語の先生がいて、その人が結構教えてくれて、後押ししてくれたかな。おかげで、ロンドンに行こうっていう時に現地の友達も紹介してくれてさ。ユキコが行くから面倒見てやってくれ、みたいな。で、その人に私もいろいろ連れてってもらったりして、すごくお世話になったんだけど、なんせ英語が全然わかんなくて。年配の人の英語ってわかりにくくて。で、あんまりにもわからなくて申し訳なかったのはあるけど、向こうに行ったら行ったで、そうやって助けてくれる人がいて。

―― それを30過ぎてから? すごいねえ。

今までの人生の中で、もう最高の1年だった。行ってよかったなって。

英語も最初全くもう喋れなかったんだけども、語学学校通って、結構喋れるようになった。鍛えられて。割とサバイバル。生きるために英語を学ぶっていうのが一番強いなと。

あわよくば滞在中にヨーロッパ旅行できたらいいなっていうのもあって、滞在中、結構行けたんだけど、そんなので1年過ごして、帰ってきて、で、なんか、英語を活かした仕事、翻訳の仕事したりとか、インバウンドツアーのガイドしたりとか、あと文化体験。外国人が来る文化施設みたいな体験施設で働いたりとか。

―― 京都で?

そうそう、京都ならいろいろあるし、そんなことをしながら。

―― なるほど。関西にはずっといる?

うん。ただ、ツアーガイドも体力勝負で、すごい日焼けするし。もうさすがに体力的にきついし、ちょっともう落ち着こうかなと思って、一旦身を引いた。そしたら、コロナが来て、旅行会社軒並みダメになって、添乗員の仕事も全くなくなっちゃった。だから、引き際がすごく良かった。職なしになる前に辞めたので。助かったね。

―― タイミングよく。

で、わかさ生活に。気が付けば5年。びっくりだね。5年もいるなんて珍しいくらい。いろいろね、やってきたから。

―― もうちょっと小さい時の話聞かせてください。

なんかね。やっぱりね、子供の頃からおしゃべりだったらしい。

―― そうなんだ。でも引っ込み思案なんでしょ。

私は引っ込み思案だと思ってたんだけど。親に言わしたらそんなことないやろみたいな(笑)。なんか全然知らん人に平気で話しかけに行ってたらしいし。で、お兄ちゃんは男の子だし、あんまりお喋りじゃないんだけど、2人一緒にいたら、お兄ちゃんに話しかけても、私が全部喋ってたらしい。「これな、これな」って、あたしが全部喋ってたらしくて。

―― 今、ナレーションとか、毎週ラジオもやってるじゃん。

天職ですよ。天職。

―― 本当だよね。

ちっちゃい頃は本当わがままで。自分の要求が通るまで、泣き通した。

―― 嫌やな…

ほんとに。しかもえーんとかこんな可愛いもんじゃない。全身全霊で泣いてたらしくて、それは記憶ある。

―― あるんだ。

夢かなんかわかんないけど、なぜか玄関にいて、靴を脱がしてほしかったらしくて、脱がしてくれなかったことに対して、「脱がしてよ」とか言って、うぎゃああああっていうのをなんか覚えてて。「なんで? 脱げばいいじゃん」みたいな。

―― 脱げるのにね。

そう。2時間ぐらい平気で泣くらしくて。で、もう鬱陶しいし、うるさいから、親も結局最終的には言うこと聞いてくれてた。

―― 根負けじゃん。

そんくらい頑固だったらしい。

―― なんだろうね、頑固だし、やっぱりこう、要求がすごいね。

うん。でも私、よくいじめられてた。

―― そうなんだ。

可愛いからかな(笑)

―― それだね(笑)

女子によく仲間外れにされて、男子がかばってくれて、だから余計いじめられてた。

幼稚園の頃は、割とでっかい男の子にいじめられてたみたいで。「幼稚園行きたくない」って登園拒否して。幼稚園から脱走したこともあって、「トイレ行ってくる」とか言って裏から抜け出したところを用務員のおばちゃんに見つかって連れ戻されたっていう、そんな感じ。行動力はあるな?みたいな。連れ戻されてさ、「ほら、白鳥だよ」とか言って、機嫌とるのに白鳥見せられてたりとかしてた。

小学校でも朝になったらお腹が痛いって登校しなかったりね。多分、私、くそ生意気やったんやろね。女子から結構グループから外されてることが多くて。子供の頃って残酷じゃん。数人かのグループで集まるじゃん。「なんか人数多いよね」ってなって。で、「この中で外れてほしい人、多数決で決めよう」って。

―― え。ひどい

「いとうさんに外れてほしいと思う人ー」「はーい」、みたいな。残酷。

―― それは覚えてるよね…

でも、それがさ、本当にそうだったのか、夢なのかが、もう今となってはあやふやなの。夢で見た記憶なのか、本当にあった記憶なのか。

―― え?

気の強い女子ってやっぱクラスにいるじゃん。いじめられるわけよ。

―― うんうん。

で、男子がその子に、「お前を嫌いなやつはいるけどな、いとうさん嫌いなやつはおらへんで」って言って。

―― またいらんことを

で、またいじめられるみたいな。

―― ほんまや。

やめとけ、黙っとけ。みたいな。

ほんと、なんか知らないけどね、女子に嫌われるタイプだった。なんでかな。でも、私もなんか結構つんつんしてたんだと思う。それがかっこいいと思ってたのか知らないけど。

うろ覚えてしてるのが、なんかアンケートをとってたの。「これってどう思う?」みたいな、キャッキャキャッキャ女子がアンケートをとってたのよ。私、「そういうアンケート興味ないから」って言ってた(笑)。

―― やなやつ~!みたいな。

その頃の私はわかんないよ。言ってやった、みたいな。かっこいい私、みたいな。

―― セリフっぽいね、それ。

昔からそういう夢見るゆめ子ちゃんっていう。

―― 物語とか読んでた?

そうそう。ずっと空想の世界で生きてたから。昔は本当、現実が嫌いで、夢の世界にどっぷりはまってて、めっちゃ暗い子だったから。昼休み中、外で遊ぶ子とさ、中で大人しく本でも読む子とかわかれるよね。あたし、割と中で本読む子だったんで。

夢が本当に自分で操れるぐらい明確に見れて、フルカラーで。夢の中っていう自覚が持てるわけで。昔は空もめっちゃ飛べたし、で、水の中で息ができるっていうのを発見してからは、めっちゃ水に潜るようになったり、泳いだりとか。

―― それ、夢でやんな。

夢の中で、水の中に入ると息ができるのね。溺れないわけよ。めっちゃ楽しいのよ。水の中なのに。あと、夢の続きを自分で見ることができたりとか、夢を操れたというか。

―― 特殊能力じゃん。

だから、ほんとに目覚めたくなくて。現実の方が嫌すぎて、ずっとずっと夢の中の住人になりたいって思ってた。

ものすごくなんか現実逃避してる子だったから、芝居も現実逃避だから、楽しかった。

もう自分の現実が嫌だったのね。本当に。なんか女子からはいじめられるしさ。つまんないことでね。

―― ね。ほんとに。

そんな生意気な幼少時代を。

私、絵本は読まなかった。あんま興味なくて。ただ、自分で漫画買わないんだけど、お兄ちゃんが漫画好きで。だから「キン肉マン」「奇面組」「北斗の拳」が家にあったの。小さい頃はそれを読んで育って。で、ある程度大きくなってから、小学校高学年ぐらいになって、ようやくなんか「リボン」とか少女漫画があるということを初めて知ったの。でも、読みたいと思ったけど家にはない。少女マンガを知らずに育った。

―― 確かにね。友達がいなかったら貸し借りとかもないもんね。

そうなの。友達に貸し借りしてもらった記憶がなくて。

それと、小学校の頃、中学受験の勉強を4年生ぐらいからさせられた。小学校2年から塾通ってて4年から受験専門の塾に行かされて、土日とかも友達と遊んだら怒られたりとか、ずっと塾通いと勉強させられてて、テレビももう見出したら止まらへんからって、しまわれちゃった。

だから、学校行った時に、友達と話題が合わないよね。「昨日のドラマ見た?」ってなるやん。で、その話に全く入れへんから、友達いない、みたいな。

―― そうだよね。

ひたすら私はもう勉強させられてて、

―― いわゆる教育ママ?

お母さんは、全然。お父さんやね。お父さんが教育パパで。勉強させんかったらお母さんが怒られてた。「なんで勉強させへんねん」て。

―― えー。お母さんが?

ねえ。お母さんとばっちり。

それだけ、地元の中学が結構柄悪かったのよ。不良が多くて。そういうとこに行かしたくなかったから、いい中学校に入れたかった。

―― 確かに心配だよ。可愛いユキコが。

私は勉強嫌いなんだけど、お兄ちゃんが勉強好きやったんよ。お兄ちゃんは進んで勉強して進学校に受かっちゃったの。となると、もう私も進学校に行くしかないみたいな。

―― 比べられて。

で、めちゃくちゃ嫌いな勉強をやって。

―― それはちょっと苦痛かもね。

今となっては確かにいい学校行かしてもらってよかったなとは思ってるよ。

―― じゃあ受験は?

受かった受かった。何校か受けたから、そん中で受かったところに行って、いい友達もできたし。

―― そこから京都?

そう。2時間かけて。

―― そうだよね。遠いよね。

めちゃくちゃ遠かった。6年間通い頑張ったね。往復4時間。中高だもん。若くないとできないよね。

―― お兄ちゃんは勉強好きで、妹は嫌いだけどそこそこできて。

まあまあ勉強を教えられてたから。ずっとお父さんがつきっきりで勉強教えてくれてたので。

―― でもそのお父さんが、専門学校行くって言った時に、何も反対しなかったのは意外だね。

いや、直接言った記憶がなくて。反対されるかなと思ったから、お母さんに言ったのよ。入学願書取ってきて、お母さんに、「私ここ行くから」ってお母さんに渡した。で、多分お母さんからお父さんに喋ったんだろうね。

―― お母さん、説得してくれたのかな。

ユキコがここ行くって言ってる。大学には行かないらしいよ。みたいなことがあったかどうかは知らないよ。ただ、反対はされなかった。ただ、専門学校の学費がめちゃくちゃ高くて。

―― 2年間で4年制大学ぐらい?

だから、お母さんも働きに出ろって言われて。結局お母さんも途中でパートに出たりとかして。そん時はわかんなかったよ? でも、やっぱり学費がきついし、お母さんも働いて。それでもやっぱりね、子供のやりたいことを応援してやりたかったのかな。

―― 今となってはね、すごい応援してくれてたんだね。

そう。とにかくね、何がすごいって、私が何をしたとしても、必ず私の味方でいてくれたわけよ。そこは絶対疑わなかった。ユキコがそう言うなら、みたいな。そうしたいなら、みたいな。なんで、それはありがたいなと。

―― なかなかできないよ。

うちは、自由放任なんで。警察のお世話にさえならなければいいんじゃない。っていう。好きにすれば。って感じの。自由奔放に愛されて育つとこうなる。

―― いや、すごいな。なかなかできないな、ご両親のようには。

よくこれだけ自由にね。でも本当、助けてほしい時は助けてくれるし、ほんとすごいうちの親は。できた親だなと。

―― 今もご健康で。

健康だね。

―― それが何よりやな。

そう。でもやっぱりさ、見てるとさ、どんどん年とっていくわけじゃん。もう今70も過ぎちゃって、今はいいけどさ、やっぱいずれ老いてくるじゃん。今でもだいぶ「なんかちっちゃくなったな」なんて思うんだけどね。

―― 白髪も増えてね。

そう。でも、いつ病気になるかわからないし、元気でいてほしいね。最近はお父さんも余裕できて、旅行に行くのが趣味になってて。私も時間あるときは一緒に旅行に行くようになってて。親孝行やね、私なりの。

―― 本当だー。すごいね。ずっと見守ってくれてる。

いや、ほんとそうよね。私、逆に親が死んじゃったらどうしようと思う。私、生きていけないかも。

―― 考えたことなかったけど、やっぱり。

そうなのよ。昔はそうやって好き勝手いろいろやって、ダメやっても、実家帰ってきたら路頭には迷わないし、ご飯は食べれるんだから、好きなことすれば。っていう感じだったんだけどさ、今はもう「いつまでも元気だとは限らないんだからね」って。

―― そう、現実がね…

親にとったら、やっぱ可愛い子供のことはいつも心配してるし、何かしてあげたいと思うよね。

―― うん、かわいいよね。

自分で言うけど、かわいい。お父さんとかさ、めっちゃ帰ってくるの喜ぶもん(笑)。「え、今日はいるのか。え、夜何食べたいの。お肉買ってこようか。魚か。」(笑) なんかたまに帰ると至れり尽くせり。

近所になんか「娘が嫁に行かない自慢」をするし(笑) 一緒にいてくれるっていうのを、なんか嬉しそうに喋るらしい。「うちの娘、なんかまだ家にいるんだぜ」「一緒に旅行とか行くけどさ」みたいな。

―― えー、面白いな。反抗期はあった? 

やっぱり高校の時やね。うち、お兄ちゃんが反抗期なかったのよ。「ニコニコちゃん」ってあだ名で呼ばれてて。いつもニコニコして大丈夫?みたいな。逆に。もうほんと、知らない人からも声かけられるぐらい愛想がよかったんだけど、私はもう、なんか本当にちょっとしたことで全てにおいてブチギレてて。反抗期やな。お兄ちゃんですら、なんかいやな顔してて。

―― え、ニコニコちゃんが。

うん、あったね。反抗期。なんかしょうもないことで腹立ててて。

朝、時間ないじゃん。電車乗るまでに。ほんで、パン。トースターにパン放り込んでひねって支度して降りてきたらパン焼けてないのよ。

―― なんで。

コンセントが刺さってなかっただけ(笑)。それで、拗ねて部屋にこもって、「もう朝ご飯いらない!」ってバンって扉閉めて。

―― 困ったね。

じゃあ、自分でコンセント刺せばいいじゃん。もう1回焼けばいいじゃん。そうしなよって。そういうぐらい反抗期だった。

―― 全てにイライラしてた感じ?

そうそう、全てにイライラしてた。

―― 反抗期っていうか、思春期。

思春期。思春期です。

クラスでも仲いい子は数人いたんだけど、女子高だったからグループ意識が強くて。そういうとこにあんま馴染めなかったりとか、やっぱり浮いちゃったりとか。自分が思ってるだけで、周りは気にしてないかもしれないけど。

みんなで勉強できる子ばっかりで、途中で私、勉強ついていけなくなって、どんどん成績が下がって。それで演劇に打ち込んでたんだけど、ますます勉強についていけなくて浮いちゃって。

それで一回、上履きがゴミ箱に捨てられてるっていう、もう典型的なことが。

―― 高校であるんだ、そんなこと…

終わりの会で、「私の上履きないんだけど、なんか誰か見た人いないですかあ?(笑)」みたいに聞いたら、「なんかこれじゃなーい?」とか言ってごみ箱から出してきた人がいて。「なんかいじめかー?」みたいな。

―― そういう時はなんて言う?

結局、そん時はやっぱ「いじめ」って意識なかったから。クラス全員が大爆笑だったな。「なんでそんなとこ入ってんの。ははは。」みたいな。「おかしくない?それ。」みたいな。その時はそういういじめとか問題になってなかったから。

ちょっと変わった子だったからね。うーん、良くも悪くも、ちょっと目立ちすぎた。なんかいじめられやすいたちだったのかもね。割と大人しい方だったと思うんだけどね。

―― ちょっと他と違うと。

考え方もね、やっぱちょっと違ってたしね。みんな、大学行くのが普通、勉強するのが普通、みたいな。頭のいい学校だったから。特進クラスだったし。

―― 普通って何。って感じじゃん。

お嬢様学校だったしね。

―― えっと、大学に行っといたらよかったとかは思わない?

あるある。今となっては。私、大学のサークルとかに入ってみたかった。サークルめっちゃ楽しそうやん。しかも4年間遊べるなんてさ。私、2年で終わったけどさ、専門学校ってちっちゃいから、サークルもないし、食堂もないし。ビルみたいな。キャンパスライフを楽しんでみたかったなっていうのは、今思うとすごくあって。

―― たしかにね、20歳そこそこで、社会人というか、学生じゃなくなって。

大学行ってたら多分また変わってたと思うけど。どうなってたかね。ただ、そん時、本当勉強したくなかったから、勉強が嫌いで嫌いでしょうがなくて大学に行きたくない、これ以上勉強したくないと思ってて。他にやりたいこともあったしね。

―― 仕事に限らないんだけど、これやっててよかったなということ、ある?

あるある。私、結構いっちょかみでいろんなことしたがるん。本当にいろんなアルバイトしたりとかして。「器用貧乏になるなよ」って、よく言われた。出会う人出会う人に、「なんでもできる人より、何か1つに秀でてる方が強いぞ」って言われることが多かった。「割とあなた、器用になんでもこなすけど」って。可もなく不可もなくみたいな感じが多かったから、「できるのはいいんだけど、器用貧乏だから、特に役に立たないみたいにはなるなよ」というのは、ことあるごとに、ちょいちょい違う人に言われ続けて。

で、「そんなにいろんなことやっちゃダメなのかな」とか思ってたんだけど、今思えば、やってきたいろんなもの全てが、今の自分を作ってると思うと、無駄なことは1つもなかったんだって思える。

「ああいうことやってたから、今、私がこういうことができる」っていう、私の好奇心はすごくいっぱいあって、いろんなことやりまくってたけど、でも、全て、自分の実になってる。器用貧乏なんかじゃないじゃん。

―― 私もそう思う。うん。

やっぱ若い頃に積んだ経験って本当にね、今の自分を作ってる。今に生きてると思うよ。そういうのがあったから、今の仕事もできるわけだし。

―― 話題の広さとかもね。

見聞広げるの大事や。

―― そうそう。その中でもこれはちょっとやったな、みたいなのはある?

そうやね、全く自分に向いてない仕事もやったことがあって。例えば、道中で声をかけてやるアンケート調査。

―― 大変。

あと健康ランドの清掃の仕事とか。

―― 体力。

あと工場のライン作業。よく短期バイト、単発バイトが流行ってた時期があったから、いろんな単発バイト行ってみてた。で、こういうのは私には無理だなってわかった。

―― それもお芝居にも生きるしね。

うん。そういう役が来た時に役に立つじゃん。

―― ね。一番面白かったバイトは?

面白かったバイト。あー、イベントスタッフって昔、よくあったじゃん。

―― あった。短期で1日だけとか。

それは1ヶ月のバイトだったんだけど、新歌舞伎座で、杉良太郎の公演があって。

―― へー。

入れ歯洗浄剤の「さわやかコレクト」のサンプリング。杉良太郎の公演が1ヶ月で、それに集められたのが10人くらい。シフト組んでるから交代で入るんだけど、幕間と、最初と最後しか出番がないわけ。その間、私たちはご飯食べにいったり、休憩して待ってたんだけど。それでめちゃめちゃみんなと仲良くなって、最終的にはみんなで福井まで旅行に行ったりとか。それぐらい仲良くなって。

―― 逆にこれはしんどかったってバイトはある?

時間が経つのが遅いやつ。イベントの方が大変だけど、暇なほど時間経つの遅いししんどいっていうのはある。やっぱり暇すぎてもね。

―― 全然お客さんが来ないとか。

そうそう。量販店の売り場でプリンタのスタッフやった時は、一日中そこに立って、そのプリンタの案内をするんだけど、お客さんが来ないとね。

―― 何もできないよね。

うろうろ。

―― でも、プリンタには詳しくなったね(笑)。

その時はやっぱり自分のとこのプリンタ勉強したから。

―― へー、それも今の自分を作ってると思えば。

そうだね。逆にいろいろやることで、自分はこういう仕事したくないんだなとか、消去法でわかってくる。よくほら、自分何がしたいかわかんないっていう人結構いるやん。とりあえずなんでもいいからやってみて。やりたくないと思えば、それは自分にはやっぱり向いてない仕事なんだなって。

―― 確かに。

やっぱり自分の本当に好きだなと思える仕事を見つけるには、いいかもしれない。

―― 選択肢減らすことはできるもんね。

別に私、司会の仕事をやろうと思って始めたわけでもなくて、たまたま。演劇やってると、そういうイベントとかでMC頼まれたりとか、演劇やってんだったらできるでしょみたいな感じで、簡単な司会とか簡単なMCを頼まれるようになって、やってるうちになんか司会者になってた。だから誰かに教えられたわけでもなく、やってるうちにそうなった、みたいな。

―― 声を使うのは共通してるけど、司会って台本があるわけじゃないでしょ。全然違わない?

司会って台本あるやつもあるし、ないやつもあるし。ただ、滑舌であるとか、発声の仕方であるとかは大切。ハキハキわかりやすく喋る。あと、舞台慣れしてる。舞台の上に出て喋るっていうことができるだけ。

―― 確かにそれだけでもすごいもんね。

で、人づてに頼まれてやってるうちに、仕事になって、披露宴もやったし、イベントの司会もやるし、なんでもかんでも、声の仕事と名のつくものは全てやってた。
だから、普通にそういう仕事が入ってくるってことは、向いてたんだね。

―― そうだね。お願いしたいっていうことだもんね。

で、今でも定期的に演奏会とかの司会を頼んでくれるところもある。喋るのが好きなんだろうね、きっと。

―― あの映画(『想像が出来ない Impossible To Imagine』)は? もう、役者はやってなかった時でしょ。

役者はもうやめてたけど時々はそういう短いCM映像とかに依頼されて出ることはあって。たまたま働いてたところのオーナーさんとその映画監督やってる人が友達だった。

で、京都で、今度こういう映画を撮ろうと思うんだけど、こういう女性を探してて、って「ここにいるじゃん」みたいな。

あんた、やりなよみたいな。で、紹介してもらって。監督さん、オーストラリア人で日本に住んでて、やらしてもらうことに。

―― へー。たまたま。

自主映画だし、海外の映画のコンクールみたいな、コンペティションに出す作品を作りたいって言ってて、作った。

―― なるほど。

で、あちこちで上映会とかもしてるうちに、気が付くとアマゾンプライムにもあがってて。

―― びっくり。

びっくりした。で、ポスターを作ったんだけど。ポスターの絵が、あれだったわけよ。キスシーン。キスシーンのとこが使われてて。ほら、日本だったらまずそういうとこ使わないじゃん。でも、外国の人だからか、もろにそのシーンがポスターに使われてて、めっちゃびっくり。シルエットだけどね。まあ、そういうシーンもあるけどさー。

―― そうだよね。基本的にプラトニックな映画だよね。

そうそう。間にもちろんそういうキスシーンあるんだけどね。

最初はめっちゃ恥ずかしいんだけど、でも今になってみたら別に恥ずかしくなくて。演じてて思ったんだけどさ、別に好きでもない人とキスするのって、なんか手を繋ぐのとあんま変わんないな、みたいな。

―― ドキドキしない?

しない。もしかしたら自分の好みだったらしてたかもしれない(笑)。相手の俳優さんも仲いいよ。仲いいし、別に人としては好きなんだけど、恋愛対象ではないので。

よくほら、お芝居の中でさ、恋人役やってるうちに好きになっちゃったみたいなのいっぱいいるじゃん。芸能人とか。でもそうなのかな?って。

最初は本当緊張したけど、1回やって慣れちゃってさ。で、次、キスシーン。はい。オッケーオッケー。もう遠慮しないで、みたいな。どんとこいみたいな感じ。そんなに大したことじゃないんだなっていう。やってみて。

―― 発見だね。

でも、私、そう言えばもう1本映画出てて。

あのね、JETっていう、海外から英語の教師を派遣する機関があるのね。で、その先生たちが日本に来た時に、文化祭っていうのが開かれて、それも地元の奈良だったんで、JETの先生でアメリカの映画監督の人が来てたの。そん時もたまたま、おばちゃん経由でこういう人を探してるっていうのが来て。で、ヒロインだった。

それが、黒澤明監督の映画「羅生門」を現代風にした映画で。だから私、何回も殺されるの。1人1人の証言がみんな違うのよ。証言のたびに殺されるわけ私。で、奈良の猿沢池あるじゃん。あそこに死体役で浮いた。

―― 浮いたの?

浮いたの。最初プールでやるって言ってたのよ。変わって

―― リアリティを。

寒い中、服着たままマジで池に浮いたから。大丈夫。若かったから。

で、セリフが英語だったの。そん時私英語全然わかんなかったから。留学する前だから、できてたらもっと喋れたんやけど。スタッフとかとみんなとロケに入っても誰とも喋られへんくて。相手のセリフもわかんないから、相手のセリフの最後の単語だけ覚えて。そのセリフが聞こえたら、自分セリフ喋るみたいな。

―― よくできたね。

ね、本当に。その時の映画の題名がね、ロックシザーズペーパーズやったかな。グーチョキパーっていう。結局真相は闇の中みたいな。

―― それはどこで見られる?

それはDVDがあるぐらいかな。その地元のホールで上映会した。

―― 池で…

浮いてるやつ。冒頭のシーン、私の死体が池から上がるとこだから(笑)。こんな顔して。

―― いや、すごいね。いろんな経験して、

本当は映画すごい好きなのよ。で、舞台も好きだったけど。最終的にはそういう映像に出たかったんだよね。でもなかなか映像ってさ、プロダクションとか入ってないと無理じゃん。

―― でもすごいね。両方、声かかって。

そうそう、たまたま。今まで出た映画、2本かな。

―― しかも主演じゃん。

主演女優でした。

―― すごい。

ありがとう。

――最後に、普段は改まって言わないけど、実はすごく感謝してる人がいれば、ちょっとこの機会になんか残しといてもらえたら。

親にはほんと、感謝してもしきれない。

―― 親やね。

一番の応援者であり、一番のファンであり、親があって、私がある、みたいな。

だから、ラジオとかやってんのも、やっぱ親が聴いて、親が喜んでくれるからやってる。舞台も親が見てくれて、親が喜んでくれるからやってるっていうのすごく大きくて。

ラジオもやっぱり毎回聴いてて、面白いねって言ってくれるからさ。YouTubeも全部見てるからねえ。「ちょっと、あの喋り方さあ」とか、「もうちょっと派手な服着た方がいいよ」とかもめっちゃ言われるんだけど(笑)。でも一番のファンでいてくれてるっていうことがありがたい。

―― ありがたいね。

助けられて、生きてる。人に恵まれて。

2024年11月28日聞き取り

著者/伊藤有輝子

聞き手・編集/ヨシダチエ

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