1996年にメジャーデビューを果たし、多数のメディアに登場するなど人気を博したロックバンド、チューインガム・ウィークエンド。2001年のバンド解散後、他のメンバーは引き続き表舞台で活躍する中、フロントマンの橋本孝志さんに関する情報はなく、その行方は杳として知れない状況が続いていました。
ところが約13年後となる2014年、唐突にソロアーティストとしてライブシーンに復帰。現在は新バンド、the MADRASのヴォーカリストとして精力的にライブ活動を展開している橋本さんに、音楽をはじめたきっかけから音楽活動において大切にしているDIY精神まで、いちファンとして聞いてみたいことをぶつけてみました。
13年ぶりにライブハウスシーンに戻ってきた印象は「ライブハウスってこんなに人がいないんだ」だった。

橋本さんが音楽シーンに復帰されてからもう10年以上になるんですね。改めて、チューインガム以前のGO-GO-TIMESの頃からキャリアを振り返っていただけますか。
音楽を始めたのは高校生の頃だから、もう30年以上になるのかな。だから、けっこうざっくりした話になるけど(笑)、元々小学生の頃から音楽が好きで、それこそRCサクセションやめんたいロックを聴いて育って。
あとは怒髪天とかbloodthirsty butchers、eastern youthとか地元・札幌の先輩たちからの影響が大きいですね。彼らのライブに行くようになったことが、自分もバンドをはじめたいと思ったきっかけかもしれない。後に出会って、一番影響を受けたのは山中くん(元the pillows 山中さわお)です。
当時の札幌の音楽シーンは、挙げていただいた方々をはじめ、かなり個性の強いバンドが活躍されていた印象があります。
そうだね。札幌にインディーズのCDやレコードを扱うUKエジソンというお店があって、そこにパンクシーンの若いバンドが自然と集っていたんです。UKエジソンが主催するイベントに出たり、出会ったアーティストと別のイベントを企画したりとかしていました。増子さん(怒髪天 増子直純)やヨウちゃん(bloodthirsty butchers 吉村秀樹)はGO-GO-TIMESを可愛がってくれてたので、よく一緒にやらせてもらってました。

今年3月にはGO-GO-TIMESとしてもライブ(SAPPORO FREAK SHOW “Do You Know Y.?”)をやったんですよね。
増子さんがMCとして大いに盛り上げてくれましたね(笑)。あれは増子さんよりもう一つ上の世代で活躍していたシェッタガーリアとかTHE MINKS、THE RIDDLEとかがメインのイベントだったんだけど、久し振りにGO-GO-TIMESをやってみると、the MADRASとは違うシンプルなパンクロックも新鮮で楽しかったな。さすがに再結成したいって気持ちはないけど(笑)、10代の頃に仲が良かった友達だから、また集まりたいなとは思いました。
当時と今の音楽シーンを比べて、大きく違うことって何かありますか?
ライブの動員数はかなり違いますね。当時はバンドブームではないけど、ライブハウスに何か面白いことを求めて人がいっぱい集まる時代だったのかな。あの頃が一番人気があったかも(笑)。だから13年ぶりにステージに立って最初に思ったのは「ライブハウスってこんなに人がいないんだ」ということでした。
それは告知をしていなかったからでは…?
それはそう(笑)。
私はチューインガムの頃からしか知らないんですけど、CDは売れるわ、音楽番組や雑誌も多いわという時代だったこともあり、プロモーション稼働もけっこうやられてましたよね。
あちこち行ったね。メジャーでやっていると、やっぱり人の目に触れる機会も多かったから、ライブの動員にもつながっていたんだと思います。
新しいバンド、the MADRASとして。

解散してしばらく休むというアーティストも多いですが、さすがに13年もブランクがあるとは思いませんでした。この間はどのように過ごされていたのか、お伺いしても大丈夫ですか?
そんなに構えなくても大丈夫だよ(笑)。
ブランクの間も音楽は相変わらず好きで、曲をちょこちょこ作ったりはしていたんです。アーティストの友達ともほとんど会ってなくて、連絡をとっていたのは高橋徹也くんとチューインガムのプロデュースをしてくれていた上田禎さんくらいで。
上田禎さんとは、the MADRAS結成前は一緒にステージに立たれていましたよね。ライブ活動を再開するきっかけも上田さんだったんですか?
活動再開に踏み切れたのは、確実に上田さんのおかげだね。久々に頻繁に遊びに行くようになって、その頃までに作っていた曲を聴いてもらったりというやりとりを1年くらい重ねたのかな。それで、できた曲をライブでやってみようという気持ちになったんです。上田さんはチューインガムの頃から曲を評価してくれていて、僕も上田さんの編曲が大好きだから、お互いの欲しいものがぴったりハマった感じなのかもしれない。
13年ぶりに戻ってきたと思ったら、バックバンドが上田禎さん、鹿島達也さん、脇山広介さんなどとかなりの豪華メンツで面食らいました。
そうですね。あとはギターで石崎光くんとかが手伝ってくれました。後はギターの鈴木洋佑(しんきろうのまち)が弾いてくれました。
チューインガムの淳くん(鈴木淳)やなっちゃん(夏秋文尚)がライブを観に来てくれたことも嬉しかったです。
しばらくそのメンバーで活動された後、the MADRASの前身となる橋本孝志 with Dots Dash & Rico として、Dots Dashの木下直也さんとえらめぐみさん、ドラマーの安蒜リコさんと一緒にやることになるんですよね。
Dots Dashとは復帰後最初のライブで知り合って、チューインガムのことを知ってくれていたこともあって意気投合したんですよね。僕もしばらくは上田さんとか身内のミュージシャンと一緒にやっていたんだけど、木下くんとえらちゃんから「一緒にバンドをやりませんか」と誘われて、やってみようという話になったんです。
リコは後からで、クライフのユウスケ(cruyff in the bedroom ハタユウスケ)に誰かいいドラマーいないなかって相談したら、ちょうどそこが高円寺HIGHだったこともあり、「そこにいるよ」って出演していたリコを紹介してもらいました(笑)。
不思議な縁ですね(笑)。2016年5月にはthe MADRASに改名されましたが、きっかけって何だったんですか?
バンドになろうという空気が満ちたというのかな。橋本孝志 with Dots Dash & Ricoだと、どうしても僕が中心に見えてしまう。でも実際はメンバー全員でひとつのバンドという気持ちだったから、それならバンド名をつけるのが一番良いのかなと思ったんです。
確かに最初の頃は、橋本さんが楽曲をすべて手掛けられていましたが、最近は木下さんの楽曲も増えましたよね。
木下くんは自分でもバンドをやっているから元々曲を作っていたんだけど、「この曲はthe MADRASでやりたい」って持ってきてくれたのは嬉しかったですね。
そもそもバンドの曲は僕が書くべきとかそういうことにこだわっていないんです。ビートルズみたいにメンバーそれぞれが作ったものをみんなで練り上げていくのがいいと思っています。歌メロは自分が中心でやらせてもらうけど、サウンドは全員で作りあげています。それにバンドとしてこれからも活動を続けていくためには、メンバーが「the MADRASは自分のもの」と認識していってほしいし、そう思ってくれているんじゃないかな。
the MADRASの活動といえば、バンドセットとアコースティックセットをどちらでもライブをやっていて、同じ曲でも印象がガラリと変わるところが面白いと感じています。特にアコースティックセットにサポートのカメダタクさんが加わったときの変化は大好きです。
いいよね、カメちゃん。僕自身、アコースティックな音楽が好きなので、バンドとしても激しさと抒情性の両方を育てたいというのはありますね。元々は、今年3月までドラムを叩いてくれたみつきが札幌に住んでいたから、彼女が東京にいないタイミングでthe MADRASのライブをやる、成長するにはどうしたら良いのか…という物理的な問題からアコースティックセットでのライブが増えたんですけど、暫くはバンドセット中心の活動になると思います
リコさんがカホンを叩かれるのもアコースティックセットならではですね。
病気でドラムを叩けなくなってから、リコがリズム隊として活躍できる場所としてアコースティックセットを大切にしている部分もありますね。
今は2人のドラマーにサポートをしてもらっているけど、ドラムが変わると曲自体も僕の歌い方もガラッと変わってしまう。今は、正式なドラマーを迎えたいというのが悲願です。
ワンマンを成功させたいし、上田禎さんと作品も作りたい。the MADRASを多くの人に知ってもらうために。
悲願といえば、11月14日には結成9周年のワンマンライブが開催されます。
今はそれを成功させることが悲願だね。新曲も作っているから、楽しみにしておいてほしいな。活動を再開して最初のライブで人が少ないと感じたって言いましたけど、the MADRASとして数多くのバンドと対バンを重ねるなかで刺激を受けてパワーアップしているから、僕たちの音楽を必要としてくれる人に届くように精一杯やりたいです。
新曲を作られているということは、待望の3rdアルバムも考えられていたりしますか?
まだタイミングとかは決まっていないけど、3枚目を作りたいという話はメンバーともしています。実はチューインガムって2枚しかアルバムを出していないから、僕自身も3枚目のアルバムって初めてなんです。ドキドキしますよ(笑)。
そう言われてみればチューインガムのアルバムは2ndの『KILLING POP』まででしたね。プロデューサーは上田禎さんでしたが、2020年にALSと診断されていて現在も闘病中でいらっしゃいます。
YouTube(上田禎的音楽史)を見てもらったらわかると思うけど、今でも誰よりも頭脳明晰、話が止まらない(笑)。手とかも自由に動かないのに、作詞作曲編曲、音楽活動を止めていないのが凄いんです。でもいつかお願いしたかったアルバムを一枚プロデュースしてもらうのは難しくなってきているのかなというのが無念なことかな。
ALSは国が定める指定難病のひとつ。原因不明で治療法が確立されていないこともあり、現在以下サイトでは治療費や介護費用のために寄付を募っています。
上田禎 難病支援プロジェクト
5月にリリースしたシングルに収録されている「センチメンタル」のコーラスアレンジは上田さんがしてくれたので、こういうかたちでも一緒に作品を出せるのは嬉しいです。
橋本さんが再始動するきっかけが上田さんだったこともあり、このタッグはまだまだ見たいところです。
いつか叶うといいよね。そのためには、僕自身が音楽を続けていかないといけないし、the MADRASはまだまだ多くの人に知ってもらわないといけない。
最近ライブの反応も良くて、初めて見たって人がファンになってまた来てくれるっていうことが増えているんです。そういう声を聞くとね、やっぱり嬉しいし、続けたいってモチベーションにもなるんで。
すごく今さらですけど、the MADRASってスタッフを入れずに完全に自分たちで活動されていますよね。ライブ前にメンバーがCDを封入しているところも見かけましたし。
今は決まったスタッフはいないから、そういう意味ではDIYでやっていることになるのかな。
僕はメジャーを経験しているから、もっとバンドとして大きく活動を展開していくためには手助けが必要になってくるんだろうなということは理解しています。ブッキングとか、プロモーションを手伝ってくれる人がいたら、僕たちは音楽に割ける時間が増えるんで。ただ、本当に最近「自分たちだけでもやれるな」っていう手応えというか流れを掴めてきている気がするんだよね。来年、もっと大きく展開できるように何をしたら良いのか、やるべきことが見えてきているというか。
できるところまでは自分たちでやってみたい感じですか?
そうだね。音楽はもちろん、活動面でも自分たちのやりたいことをとことんまで突き詰めて、その結果としてthe MADRASを必要としてくれるすべての人のところにまで届いたら最高だなって思っています。
それはファンとしても心強いです!まずは、ワンマンの大成功からですね。
11月14日(金)下北沢CLUB251。よろしくお願いします!
チューインガムは知っているけど、the MADRASはまだ聴いたことがないという方もぜひ!
ライブ情報
「the MADRAS -9th Anniversary- “ONEMAN LIVE 2025”」
日程:2025年11月14日(金)
会場:下北沢CLUB251
開場/開演:19:00/19:30
料金:3,500円(ドリンク別)
チケット:イープラス、公式チケット予約フォームで販売中
プロフィール
橋本 孝志(はしもと たかし)
ロックバンド「the MARDAS」のヴォーカリスト。
GO-GO-TIMES、チューインガム・ウィークエンドとキャリアを重ねた後、2014年よりソロアーティストとして音楽活動を再開。2016年5月に新バンド、the MADRASを結成。これまでにシングル5枚、アルバム2枚、DVD1枚をリリース。また自身のイベント“have fun”や、盟友であるwilberryとの共同主催イベント”SHOUT TO THE TOP”をはじめ、様々なライブイベントに精力的に参加している。
the MADRASの現在のメンバーは橋本のほか、木下直也(ギター)、えらめぐみ(ベース)、安蒜リコ(ギター)。
公式サイト:https://themadras.wixsite.com/themadras
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