2025年4月、京都・佛教大学の入学式で、新しいロゴとタグラインが発表されました――「ありがとうが、あふれる世界を。」
約1年半をかけたリブランディングプロジェクトの成果です。その発表を見つめる一人の職員の目に、光るものがありました。広報課の海老原星太さん、当時33歳。このプロジェクトを率いたリーダーです。ここまで重ねてきた準備が、ようやくかたちになった日でした。
あれから、1年あまり。新しいブランドになって初めて入学した学生たちが、いまでは2年生になっています。ひと区切りを終えたいま、海老原さんに、まずはこの1年の手ごたえから聞いてみました。
「まだ半ばかな、と思っているんです」
モダンで印象的なロゴとタグラインは、いまキャンパスのあちこちに掲げられ、京都駅や地下鉄での広告でも目にします。
―― 新しいブランドが形になって、いま、どんな手ごたえがありますか。
「ロゴマークが変わった、『ありがとうが、あふれる世界を。』ができた、それだけで大学を気に入ってもらえるわけなんてないんですよね。しっかりと学生さんが『ありがとう』に基づいた行動をして、僕たち教職員もそれに伴った行動をして、発信していって、この大学って素敵やな、と思ってもらえる。そこまでいって、ようやくなんです。だからいまは、まだ半ばかな、と思っているんです」
―― ひと区切りついた、という感覚ではないんですね。いまはどんなお仕事を。
「2025年4月からは、入学・広報課で学生募集とオープンキャンパスも担当しています。そこで前に立ってもらうのは、学生スタッフなんです。僕みたいなおじさんが前に出てしゃべるんじゃなくて、学生スタッフに輝いてほしい。彼らが自分で企画を立てて、高校生に大学のリアルな部分を伝える。その経験を通して成長してもらうのが、いまいちばんの目標なんですよ」

ブランディングって何ですか、から始まった
プロジェクトの発足は2023年7月。副学長の指揮のもとで動き始め、海老原さんが広報課へ異動してリーダーに就いたのは、同じ年の10月でした。
―― リーダーに任命されたとき、ブランディングのご経験はあったんですか。
「それが、正直に言うと、ブランディングって何なのかも全然わからなかったんです。異動自体も急に決まった話で。ただ、昔から広報とか画像編集とか動画作成みたいなのは好きだったんですよ。やったことのない仕事ではあったけど、ワクワクはしていました」
任命のおよそ1週間後、大学コンソーシアム京都が主催する研修で、海老原さんは「ブランディング」をテーマにした授業に出会います。講師は、上條憲二先生(愛知東邦大学 経営学部 地域ビジネス学科 教授)でした。
―― 偶然出会った授業だったんですね。
「お話に感銘を受けて、もう先生に聞くしかないと思って。授業が終わってすぐメールしたんです。そうしたら親身に教えていただいて。そこで教わったノウハウを、佛教大学のなかでも実践しようと。ご縁に導かれたと感じています」
「コロナだからやらない」は、無しだった
広報課に来るまでに、海老原さんは学内のいくつかの現場を経験しています。新卒で入った施設管理部門に3年、そのあと学生支援課に5年。
―― 最初の配属は、施設管理だったんですね。
「そうなんです。キャンパスのリニューアル工事の調整をしたり、教室の電球を替えたり。面接で『学生と関わりたい』ってずっと言ってたので、正直、最初はギャップが大きかったですね。でも、いま振り返ると大事な時間でした。照明が1つついてないと、10人ぐらいの人が困るわけじゃないですか。当たり前に照明がついている、エアコンがある、教室がきれいになっている。教育機関の仕事は、結局ぜんぶ学生さんのためにつながっているんですよね」
―― そのあとの学生支援課時代は、いかがでしたか。
「やりがいのある5年間でした。クラブやサークルの担当と、学園祭の運営をやっていて。施設の経験が生きて、学生さんがやりたいことは基本的にさせてあげられたかなと。ところが途中でコロナ禍にぶつかって、対面のイベントは何もできなくなったんです。でも、コロナだからやらない、無理だからやらないっていうのは、絶対に僕の中では無しでした。学園祭は全部オンラインで配信して、課外活動の勧誘もオンラインに切り替えました」
―― 動きを止めなかったんですね。
「コロナが少し落ち着いたころには、学生のほうからリアルの対面イベントの企画が出てきて。学生の熱意にも後押しされて、上長に『こういうのやりたいんです』って通して、実現させたこともありました。当時は気づいたら、月1で企画書を出してイベントをやっていましたね。学生さんがいちばん結果を出してくれるのって、楽しんでやってくれてる時だった。だから絶対いろんなイベントも、全員楽しかったって言ってくれるところまでサポートしよう、って思ったんです」

「誰一人取り残さない」は、若手から出てきた
リブランディングプロジェクトのメンバーは、20代中心の12名。副学長は「任せる、好きにしていい、意見を尊重する」というスタンスだったといいます。
―― リーダーとして、最初の会議では何を投げかけたんですか。
「とりあえずやりたいことを全員言っていこう、って言いました。せっかく大きなことをやるので、プロジェクトメンバー全員に楽しかったって言って終わってほしかったんですよ。誰かが妥協するとか、損をするとか、ありがちだと思うんですけど、それは嫌で。そうしたら、たぶん入職2年目、3年目の職員が『誰一人取り残さない』ってキーワードを出してくれて。しかもその想定範囲が、メンバーだけじゃなくて、教職員全員だったんです。僕がプロジェクトメンバーに対して思っていたことを、その職員たちがもっと広げてくれた感じでした」
―― 進めるなかで、心が折れそうになった瞬間はありましたか。
「ありました。100人規模のワークショップを開催したんですけど、その前に、当日来られない人にも匿名でアンケートを取ったんですね。誰一人取り残したくなかったので。そうしたら、『変わることに対してどうなんだ』『今までのままでいいんじゃないか』っていう声も、少なからずあったんです。もちろん、本音ではあるんですよね。全部自分で目を通したんですが、文字だけだとニュアンスもわからないし、正直こたえました。まだまだ巻き込めてないな、と」
―― そのワークショップから、タグラインの「ありがとうが、あふれる世界を。」はどう決まったんですか。
「8時間かけて、たくさんの言葉が出ました。ただ、投票で1位を選んでしまうと、どうしても、平均化された無難なものになってしまうんですよ。なので、上位5つまで絞り込んで、あとはプロジェクトチームで話し合って決めようと。実は投票での1位と2位は『自分らしく生きる』とか『素敵な人になる』っていう、学生さん目線の言葉で。『ありがとう』は3位だったんです。なので、会議でこれを推したとき、最初は意見が割れました」
―― その割れた空気を変えたのは、何だったんですか。
「入職3年目の若い職員の一言でした。『佛教大学には、次の100年にも残る大学になってほしい。ありがとうって、絶対100年後もなくならないですよね』って言ってくれて。そこでみんな、おお、そうやなー、と。そのあとに別の職員が『AIが人間に取って変わっても、ありがとうは人にしか持てない感情ですよね』って続けてくれて。うちって教育や福祉、看護みたいに、人に手を差し伸べる学部が多いんです。だからこそ、人にしかできないことが大切だよね、っていう言葉が次から次に出てきて。これで行こう、と一致団結できたんです」
―― ステートメントにも、メンバーの言葉が入っているとのことですが。
「そうなんです。プロジェクトメンバーが喋っているなかで出てきた言葉が結構入っていて。リブランディングを推進するのは教職員含め全員だけれど、プロジェクトメンバーはそのエンジンというか、原動力のようなポジションなので。ここまでやってきた皆さんの意見は、最後まで反映したかったんですよ」
―― 最終的に、学長や副学長に諮る会議もあったそうですね。
「入職2年目、3年目の若い職員が、学長や副学長の前で意見を言う場って、なかなかないと思うんです。緊張していたはずなんですけど、全員、自分の想いをちゃんと伝えてくれました。実は事前に『嘘でもいいから、会議では全員同じ方向を向いていこうな』って話していたんですよ。本当は違ってもいいけど、この場では一致した姿勢を見せようって。でも結果は嘘じゃなくて、全員が本心から『わたしたちが考えたのはこれです、これで行きます』って言ってくれた。あの瞬間は、本当に感動しました」
―― プロジェクトを終えて、いちばん心に残っている言葉はありますか。
「終わったあとに、若い職員の一人が『みんなでつくり上げた、学園祭みたいでした』って言ってくれたんです。それが自分の目標でもあったので、すごく嬉しかったですね。リーダーがぜんぶ決めるんじゃなくて、みんなで一緒につくった。そう思ってもらえたのが、何よりでした」
行動したから見える景色がある
新しいロゴとタグラインは生まれました。それでも海老原さんが「まだ半ば」と言うのは、いまの大学を取り巻く現実を、正面から見ているからでもあります。
―― いま、大学広報として向き合っている現実は、どんなものですか。
「僕が生まれた1991年は、18歳の人口が120万人いたんです。それが、いまは約70万人。募集を停止する大学も出てきていて、悲しい限りなんですけど。学生さんに入ってもらえないと大学は立ち行かないので、これまで以上に結果が求められる。大学の学びって、同じ学部でも大学や教員によって全然違うんですよ。それをしっかり高校生に理解してもらって、成果につなげたいです」
―― ご自身の課題は、どう捉えていますか。
「まだまだマーケティングの知識が不足していると思っています。これまで行ってきた広報業務は、いわゆる法人広報でした。一方でいまは、いわゆる一般的な意味でのマーケティングの部門に来た感覚なんですよ。SNSも活用の余地があると思っていますし、受験者数の拡大への貢献もまだこれから。だから、どんどん勉強していきたいですし、大学広報のプロになりたいと思っています」

―― そのうえで、10年後はどうしていたいですか。
「10年後も、教育機関で広報の仕事をしていたいですね。高校生って、自分が大学に入ってどうなれるのか、学びがどんなものか、わからない状態の子が結構多いと思うんです。この大学はこういう学びをしているよ、学生はこういう生活を送っているよ、ってちゃんと届けて、理解して入ってもらう。広報にできるのは、入学後のミスマッチをなくすことだと思っていて。ちゃんと理解して、自分の意思で入ってきて、満足した4年間を過ごしてもらう。そんな仕事をしていきたいです」
―― 最後に。同じように何かに挑んでいる人へ、言葉をいただけますか。
「ちょっと偉そうですけど、やっぱり行動は人を変えると思っています。これは学生さんにもいつも言うんですけど、行動した人にしかわからないこと、経験できないことってあるんです。いいことも悪いことも、行動したから起こる。嫌なこともあるかもしれないけど、結局、それでしか見えない景色も、それでしかできない成長もあるので。だから行動あるべし、ですね」
