Chapter 0 イントロダクション~ことばとどんなカンケイ?~

白石ポピーさんと“ことば”はどんな関係ですか?
はい、私は“言葉を事故らせる者”です。

Chapter 1 お人柄


どのような幼少期・学生時代を過ごされていましたか。
“自我の目覚め”が人より早かったと思っていて、小さいころからどこか他の子とはなんか違うなという自意識がありました。
そうなったきっかけがあるのでしょうか。
家族で花見に行ったときに父から言われた言葉がきっかけです。
父は仕事で忙しい人だったので、一緒に花見へ行くこと自体が珍しかったのでよく覚えています。
会場は家の近所にある有名な桜のスポットで、子どもが遊べる場所もありました。僕も遊びに行こうとしたら、父に「レジャーシートが風で飛ぶからお前は動くな!」と言われたんです。
そのとき、“ああ、ぼくって重しなんだな”って。
目の前を桜の花びらを乗せた風がスーッと通り過ぎて、その風を追った先にえげつないほどの桜が見えたことまで、感情ごと強く覚えています。
子どもの頃って、“自分は特別な存在だ”という感覚があると思うんです。でも僕は、父の言葉でそこから少し早く抜け出した気がしているんです。

“言葉”を意識するようになったきっかけはありますか。
言葉自体は昔からすごく好きでしたね。
絵本作家の五味太郎の本が家にたくさんあって、『ことわざ絵本』や『ことば図鑑』のように、言葉そのものを意識させてくれる作品や遊びが多かったんです。中でも、『きみはしっている』は、展開も衝撃的でよく覚えています。
言葉の面白さに最初に触れたのは、五味太郎でしたね。って、「言葉を意識」と聞かれて絵本だと、身も蓋もないですが(笑)。

ご自身の言葉に影響を与えているものはありますか。
町田康ですね。
中学生の頃に初めて読んで、ものすごく衝撃を受けました。ちょうど中二病の真っ盛りみたいな時期だったこともあって、“今の自分を決定づけたのは町田康だ”ってくらい影響を受けています。
だから逆に、ものすごく恨んでもいるんですよね(笑)。
影響を受けつつ、恨んでもいる!?
“自分の路線を決定づけられてしまった”からですね。
とくに町田康の『告白』がすごく好きです。
殴られた瞬間に、森の中を大量の酢醤油の瓶が疾駆する描写があるんですよ。何本もの酢醤油の瓶が木々にぶつかって割れて、酸っぱい匂いが立ちのぼる。
主人公が、自分と周囲を取り巻く“言葉の違和感”を抱え続けていて、それがイメージのなかで暴走していくシーンなんですが……そこにシンパシーを覚えましたね。
いい意味でも悪い意味でも、いや、悪い意味中心に、かなり影響を受けていると思います。
短歌では、どういった方々に影響を受けていますか。
最初に“短歌ってすごいな”と思ったのも、実は町田康がきっかけなんです。町田康の『人間小唄』っていう小説の中に、めちゃくちゃ炸裂した短歌が出てくるんですよ。
主人公自身も“意味がわからない”って言ってるような短歌なんですけど、それを読んだ時に、“短歌ってこんなことできるんだ”って衝撃を受けました。
例えば、
『臆病なあなたに問いますどうしたのですかただ生きてますボボンボボンと』とか
『上人の真摯な食事は熱量です。きみ残光をなめてください』とか。
「短歌ってものすごい可能性があるな」と思いました。作者の意図とは全く異なる受け止め方だと思いますが……。

言葉以外で、好きなものはありますか。
映画が好きですね。特にタランティーノやマーティン・スコセッシの作品のように、バイオレンスがあったり、カルト的な人気があったりする映画が好きな傾向にあります。
カルト的な映画、といいますと。
日本で言うと、石井岳龍監督ですね(旧・石井聰亙)『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市 BURST CITY』が好きです。
『爆裂都市 BURST CITY』には、実は町田康も出演しているんです。パンクロッカーがたくさん出てくる映画で、ザ・スターリンも出演しています。町田康は「おおおお」ってずっと叫んでいる役なんですがめちゃくちゃインパクトあります。
それは、なかなかカルトですね……!
ちなみに映画は、いつ頃から好きだったのでしょうか。
本当に小さいころから好きでしたね。父がCMのプロデューサーだったのもあって映画フリークだったので、その影響で家にVHSがたくさんあり、自然に映画を見るようになりました。
とくに好きな映画や、これは影響を受けたと思う映画を教えてください!
自分の中での核というか、大きな古傷みたいなものになっているのは、寺山修司の『田園に死す』です。
村の女性が、迫害されたことをきっかけに自分の子どもを川に流そうとする。そのタイミングで、川上から雛人形が並んだでっかい雛壇が、うわーっと流れてくるシーンがあるんですよ。
おどろおどろしい音楽も相まって、トラウマ的な衝撃でした。
白石ポピーさんの短歌のシュールな世界観とも、つながっている感じがしますね。急に現れるというか。
シュルレアリスムがすごく好きで、影響を受けています。僕は横浜出身で、中学生時代には横浜美術館によく行っていました。土曜日は中学生以下無料だったんですよ。シュルレアリスムの絵画がたくさんあって、特に好きだったのが、サルバドール・ダリの絵画や彫刻が並ぶ円形の部屋。そこで本を読むのが至福の時間でしたね。
ダリって、シュルレアリスムの旗手じゃないですか。あまりに有名なので少し恥ずかしいんですけど、影響を受けている人を挙げるなら、やっぱりダリですね、ダリ! 恥ずかしい……。

白石ポピーさんの好きな言葉を教えてください。
好きな言葉や気になった言葉は、すかさずスプレッドシートにメモをとるようにしていまして、友人から引かれることがよくあります。
古い看板のパワーワードみたいなものも好きですし、市井の人の迷言みたいなものも好きです。ほかには友達同士で話しているときに、不意に言った変なこととか、そういうものもメモしていますね。
よろしければ、その中から一つ教えていただけますでしょうか。
最近だと、僕と文芸ユニットを組んでいる『おのぎとポピーのこのくらい』のおのぎのあが、「でんぐり返ししている時は、でんぐり返ししかできない」って言っていて。それがすごく印象に残っています。コペルニクス的転回ですね。
そのメモの中に、“小日向文世”がいたんですね。
オカリナの穴から顔を覗かせた小日向文世をおひたしにする
そうなんです。“小日向文世”と“おひたし”って、ちょっと語感が似てるじゃないですか。
それで、“小日向文世をおひたしにしたいな”って思ったんです。しかも、小日向文世って、なんかちっちゃいものから取るのが似合いそうだなと思って。オカリナの穴から出てきたやつを、おひたしにしたら面白いかなって。
……と、今、説明しながら、「お前、何言ってんの」って思いました。
確かに、何を言ってるんだろう感はあります(笑) 。でも自分はこの短歌を見たときに、言ってる内容のおかしさもそうなんですが、「そういえば小日向文世って 7音だ! すごい……」と思いました。そこに気づくのはやはり普段から、言葉をメモしているからなんですね。
そうですね。普段メモしていたものを何度か読み返して思いつくものもありますし、何を入れようか悩んだときに入れてみたりして、作ることもありますし、思いついてすぐに原形のままで完成するものもあります。
先ほどは好きな言葉をお聞きしましたが、逆に、嫌いな言葉はありますか。
最近思った嫌いな言葉で言うと、“いろいろ考えさせられました”っていう感想ですね。
“いろいろ考えさせられた”なら、その“考えさせられた部分”を言うのがお前の仕事だろって思うんですよ。
だから、“いろいろ考えさせられました”って、何も言ってないのと一緒だなって、この間思いました。
僕も、なんて言ったらいいかわからないときによく使っちゃいますね。
会話の中で投げやすい言葉を使うことは、キャッチボール上ありだと思うんです。でも、“文芸やってます”みたいな人が、文章のなかで感想としてそういう言葉を投稿していると、ちょっとげんなりしちゃいますね。

ペンネーム「白石ポピー」の由来を教えてください。
もともとは、“モンゴノグノム”という名前で活動していたんです。モンゴロイドやゲノムなど、いろいろな言葉を組み合わせて作った名前だったんですが、さすがにわけがわからないなと(笑)。
短歌を始める中で、“苗字と名前があったほうがいい”とも言われて、それで新しく考えました。
“ポピー”は、花のポピーですね。かわいらしい響きなんですけど、ケシ科なので毒性もある。その“ポップでキャッチーだけど、ちょっと危うい”感じがいいなと思ったんです。
逆に“白石”は、できるだけ何の印象もない名前にしたくて。印象の淡泊な苗字を100個くらい列記したなかで、最後に白井と白石が残って。“白井”は井戸の“井”が少し意味を持ちすぎている気がしたんです。でも“白石”って、ただの白い石ころじゃないですか。
だから、日本一こざっぱりした苗字として、“白石”にしました。字も書きやすいですしね。
ポピーの“毒”という部分も入れたかったのにはどういう意図があったのでしょう。
僕の創作は“狂い”が一番のテーマなんです。
短歌だけじゃなく、エッセイやショートショートでもそうなんですが、人の感情や世界がズレる瞬間に惹かれるんですよね。
例えばユーモアって、シェーマ(構図)のズレから生まれると言われますけど、その“ズレ”自体が、ある種の狂いだと思うんです。
逆に、ユーモアの対極にあるような“ペーソス”も、結局はズレによって悲しみや悲哀が生まれている気がしていて。
だから、自分の中では、その“狂い”がずっと創作の核にあるんです。
ポピーの持つ毒性に惹かれるのも、そういう感覚が少し重なっているのかもしれません。
Chapter 2 “短歌”とのかかわり


短歌とはどのように出会ったのでしょうか。「短歌ってすごい」と感じたきっかけは、町田康さんだとお伺いしましたが。
「短歌ってすごいな」と思ったのは、町田康の作品でした。ただ、短歌そのものとの最初の出会いは、穂村弘のエッセイですね。
もともとエッセイをいろいろ読んでいて、その中で川上弘美が穂村弘のことを書いていたんです。それがきっかけでそこから穂村さんのエッセイを読むようになったんですが、どれをどう切り取っても本当に面白くて。
その中で「この人、短歌をやっている人なんだ」と知って読むようになったのが、短歌との最初の出会いだったと思います。
先ほど、友人の不意な発言をメモしているというお話がありましたが、穂村弘さんの『絶叫委員会』にも近いものを感じますね。
『絶叫委員会』もすごく好きです。「さっきそうおっしゃったじゃねえか!」といった言葉や、肉好きの女性が「牛よりも豚のほうが肉っぽくて好き」と言って「じゃあ鶏はどうなのか」と聞かれると「鶏は魚です」と答えたエピソードとかありましたよね。
そういう言葉のズレや飛躍が面白くて、好きな本です。

短歌を本格的にされるようになったきっかけを教えてください。
実際に短歌をやり始めたきっかけは、コロナ禍で出会った『書き出し小説大賞』というインターネット上の企画でした。
物語の“書き出し”だけを一つの作品として成立させる文芸形式で、最初は面白いなあと思って見ているだけだったんですが、「もしかしたら自分のほうが面白いものを書けるかもしれない」と、生意気にも思って(笑)。で、実際に投稿してみたら、結構反応をいただけたんです。
その界隈って、一行小説や短文表現に近い空気があるので、Xのタイムラインにも短歌や自由律俳句が流れてくるようになって。それで、「短歌って面白いな」と思ったのが入り口ですね。
ちなみに、『遠距離チャーハン』の表紙イラストを手掛けたアマノマドとは、この企画を通じて出会いました。数少ない気の置けない友人と思っている人です。僕の中で『書き出し小説大賞』は創作の故郷ともいえます。

好きな短歌を教えてください。
師匠である笹公人先生の短歌は大きな存在です。笹先生は寺山修司が好きで、初期作品に“寺山修司っぽい文体で面白を詠む”というのを実践していて、僕も寺山修司が好きなので最初に『念力家族』を手に取ったときは吃驚しました。
『中央線に揺られる少女の精神外傷(トラウマ)をバターのように溶かせ夕焼け』
という歌はユーモアとペーソスがキレイなマーブル模様を描いていて秀歌だと思います。
ほかには葛原妙子には特に影響を受けていますね。
『ぐろてすくぐろてすくとぞ煮つまりぬふかなへにしてタンシチウは』
という歌があるんですが、あまりに不穏すぎてちょっと笑っちゃうくらいですね。
あと、
『ばりばりと頭髪を盥に硬ばらせ死海より生まれきし若者のむれ』
なんかも有名ですが、おどろおどろしくて、くーっ!って目薬さしたみたいになりますね。

短歌はどのようにして作られているのでしょうか。
短歌を作るときは、自分でテーマを設けたり、言葉をお題にしたりして詠むことが多いです。
お題を決めたら、そこに合う言葉を自分の頭の中から探したり、メモしている言葉のリストからガチャンコしたり、そこから連想することをわーっと書き出して、その中で形にしていくこともあります。
大喜利みたいな感じで。大喜利って、お題があって、その周辺にあるものを頭の中に思い浮かべて、その中からチョイスしていくじゃないですか。短歌も、そのやり方に近い感じで詠んでいます。
短歌を作るうえで、削る作業と残す作業、どちらに苦労することが多いですか。
削る作業のほうが多いですね。
穂村弘が『短歌という爆弾』で、三十一音にくんくんに詰め込んで、読み手の中で爆発させよ!みたいなことを書いていたと思うんです。少し拡大解釈かもしれませんが(笑)。最初は奥行きを広く取っておいて、そこから凝縮していくほうが、作品として面白くなる気がしています。
シュールな短歌って、前半は普通なのに後半で急に落ちたりするじゃないですか。ああいうものも、最初から完成形に近い状態で出てくるのでしょうか。
最初からバチッとはまることもありますね。“マチュピチュとミシシッピ川”の短歌なんかは、ほぼ並び替えもせず、そのままはまった感じでした。
逆に、めちゃくちゃこねくり回してこしらえる短歌もあります。
マチュピチュとミシシッピ川があいしあいマチュチュッピ川がうまれました

実際にもらった感想で、印象的だったものはありますか。
『蝶番を四羽はなった密室に傍観者としてわたしはいたい』
という短歌に対して、“密室に四羽の蝶番を放つことで外界とつながる扉が生まれる”という読みをしてくださった方がいたんです。
さらに、“作者が文学に対するフェティシズムをさらけ出す恥ずかしさ”と、“表現者として羽化したい欲情を抑えられないこと”の両方を感じ取ってくださっていて。
それは本当に嬉しかったですね。
というのも、僕は表現することって、やっぱり恥ずかしいことだと思うんです。
僕がやっている短歌もそうで、言ってしまえば“ポエム”なんですよね。今“ポエム”って表現をすると、少し恥ずかしいものとして認識されますが、それは詩や短歌、小説もやっていることは本質的には変わらないと思うんです。
演出家で俳優の柄本明も、“演じること・人前に出ることは恥ずかしいことだ”という話をしていて。自分の中にも、表現することへの恥ずかしさはすごくあります。
でも、その恥ずかしさを踏み越えてそれでもやっていくのが文芸だと思っているので。
そこまで読み取ってもらえた感想は、すごく印象に残っています。
Chapter 3 歌集『遠距離チャーハン』について


今回の歌集のコンセプトや、制作のきっかけを教えてください。
今回の歌集は、笹公人先生に監修していただき、笠間書院の“KAIKAレーベル”の第二弾として刊行されました。
笹先生は“面白短歌”の先駆者で。笹先生の第一歌集『念力家族』は、“読んで爆笑してしまう歌集”として知られています。
それまで、読んで思わず笑ってしまうような短歌って、あまり存在していなかったと思うんです。それを真正面からやった、本当に偉大な歌人だと思っています。
そういった思いもあって、笹先生に監修していただくなら、前半は思わず笑ってしまうような短歌を集めたいという気持ちがありました。
なので第一部では、そういったユーモアや“事象を面白がる短歌”を中心に置いています。
逆に第二部では、ガラッと雰囲気を変えて、不穏さや耽美さをテーマにしました。どちらかというと、自分としては後半の空気感のほうが、本来よく書いているものに近いですね。
そのコントラストも含めて、一冊の構成にしています。

今作のタイトル『遠距離チャーハン』は、どのように生まれたのでしょうか。“遠距離”の要素も“チャーハン”の要素も、今作にはそこまで色濃くは出てきませんよね。
もともと“チャーハン”という言葉自体が好きなんです。“チャーハン”って語感がいいじゃないですか。愉快げな“チャ”で始まって、“ハン”ですとんと終わる感じがすごく気持ちいい。
だから、“○○チャーハン”という言葉を作りたくて、前に漢字二、三文字を置こうと思ったんです。
そこで“遠距離”をつけました。
“遠距離”と聞くと、多分みんな“遠距離恋愛”を想像すると思うんです。でも、そのイメージに対して“チャーハン”がくっついている違和感がいいかなと思って。
そういうズレを狙ったタイトルでもありますね。
ただ、僕自身も、この歌集を編む中で、“なんでこのタイトルなんだろう”って、ずっと向き合ってきました。
たしかに、“エモい恋愛歌集”かと思ったら、“チャーハン!?”ってなるタイトルですよね(笑)。
表紙の素敵さも合わせて、恋愛歌集だと思う方も多そうです。
文学フリマ東京でも、恋愛歌集だと思って手に取ってくださる方、結構いましたね(笑)。
恋愛を扱った短歌も後半に出てはきますが、いわゆる歌謡曲みたいな“王道の恋愛”を真正面から描いたものは、一首もないですね。

前半は“事象を面白がる短歌”、後半はどちらかというと“言葉そのものを楽しむ短歌”になっていて、そのグラデーションがとても魅力的ですよね。
ただ、その二つを一冊にまとめるのは難しかったと思います。構成するうえで、ご自身の中に軸はあったのでしょうか。
かなりバラバラな作品群ではあるんですが、自分の中では一本軸が通っている感覚があって。
それが“狂い”です。
“狂い”……! ペンネームの由来でもお話していましたね。
先ほどお話ししたとおり、僕の創作活動全般におけるテーマ自体が、“狂い”なんですよね。
僕は、創作表現において“狂い”こそが面白さにつながるものだと思っていて、悲哀やペーソスを詠んだ短歌であっても、どこかに狂っている要素がある気がしています。
普遍的な短歌でも、本当に面白い作品って、着眼点や感情のうねりが、どこか少し狂っているものだと思います。
もちろん、ただ滅茶苦茶にすればいいという話ではなくて、“どこを狂わせると面白くなるのか”を考えながら作りたいなと思っています。

今作を作るうえで、どんなことが挑戦でしたか。
第一部にユーモアの短歌群を集めたことですね。
昨今もてはやされる現代短歌の風潮としては、共感性や、ある種の“エモさ”が求められているところもあると思うんです。そういった中で、ぱっと手に取ったときに、「ふざけた歌集だな」とか、「自分の感覚とは違うな」と思われてしまったら、後半にそういった歌があっても読んでもらえないかもしれない。
だから、そこは挑戦というか、冒険ではありました。
一方で、短歌をやっていない人に手に取ってもらうことを考えると、面白い短歌のほうがフックになる気もしていて。そこは、これで大丈夫かなと思いながら作っていましたね。
あとは、第一部の中に『一片の悔いの残らぬ三学期』という章があるんですが、そこも挑戦でした。不思議な小学生が詠んだような短歌や、ひらがなだけの短歌、最後にはわざと分かち書き(一字空け)にした中身のない短歌も入れています。
特にその一字空けの連作については、そういう短歌を揶揄する意図もあるので、「これ本当にちゃんとした出版社から出していいのかな」という気持ちはありました。
でも、笹先生が面白がってくださったので、そのまま載せています。
雨の中 傘なし走った あの夜の あなたの嘘と 母の病気と

お気に入りの作品を教えてください。
前半だと、
『チューリップさっきからわたチューリップしのはなしチューリップきいてる?』
ですね。これは完全にアイディアドリブンの短歌ですが、歌集を読み返して、自分で声を出して笑っちゃいました。
あと、
『家以外アウェイ ワンチームとかちょっとなにいってるかわからないです』
という短歌も気に入っています。ホームとアウェイという考え方がありますが、僕からしたら、自分の家以外は全部アウェイだって感覚を、そのまま短歌にしています。これはかなり僕のマインドを端的に表している歌ですね。
江戸川乱歩の、特に推理モノより怪奇モノがすごく好きなのですが、『パノラマ島綺譚』をモチーフにした連作があります。
ただ、作中世界をそのまま短歌にしたというより、自分の中で脱構築した世界観として詠んだ歌です。
例えば、
『水銀のふかいねむりの湛えしに椿の首はポトリと落ちた』
という短歌があるんですが、気に入っています。
トガった連作だと思うのですが、本作をちゃんと本という形で出してもらえたのは、すごく嬉しかったです。

次回作で活かしたいことや、今後書いていきたいテーマがあれば教えてください。
一貫して“狂い”というテーマは今後も詠んでいきたいですね。
それを、いろいろな形で練り上げていきたいと思っています。
今回もいろいろなテイストの短歌を載せましたが、今後もさまざまなテーマやモチーフを扱っていきたいです。
僕は“短歌一筋”という感じではなくて、自由律俳句やショートショート、エッセイなんかも書いています。特にショートショートは一番自信を持っている文芸形式です。ただ、Xやnoteで長文を読んでもらうには、どうしてもハードルが高い。
その意味で、短歌は自分の表現に触れてもらう入口になっていると思います。
もちろん短歌自体も好きですし、その入口から、ほかの表現にも興味を持ってもらえたらうれしいですね。
Chapter 4 『遠距離チャーハン』収録短歌についてきいてみた!

だれもみていないときだけただしくてみられたとたんまちがいになる
バイトで失敗を疑われて、「お前がやったんだろ」って言われて、結局違ったのに誰も謝ってくれないときの感覚を思い出しました。
あの一瞬のさみしさが、ひらがなにすることでより伝わる気がして、すごく好きです。
文芸が好きで創作活動をしている人って、結構そういう気持ちを抱えている人が多いと思うんですよね。
だから、綺麗事だけじゃないものも含めて、“わかる”と思ってもらえる部分はあるのかなと思います。
時は2045年あまりにもシンギュられない事態が起こる
何が起こったのか、一発でわかるのが上手いですよね。たぶん、AI関係で、ついに人間を超えたとか、感情を持ったとか。どの方向でも、きっといいことではないんだろうなとわかるのがすごいです。
“シンギュられない”という言葉を、不意に思いついたんです。
それで、アホな短歌を詠みたいなと思って。もちろん“信じられない”と“シンギュラリティ”をかけているんですが、もう出落ちになっているというか。
“時は2045年”で、何か衝撃的なことが起こる前説みたいに読者を引きつけておいて、“シンギュられない”でもう全部わかってしまう。
そういう構成にしています。
わたくしが木漏れ日でーす燦燦と降り注ぎたいと思ってまーす
これは実は、『書き出し小説大賞』の“擬人化”という回で採用された作品をリサイクルしています(笑)。
擬人化したら面白いものは何だろうと考えたときに、“木漏れ日”が浮かんだんですよね。
木漏れ日って、“燦燦と降り注ぐ”がある種、枕詞になっているじゃないですか。
その神秘的な感じと、「こんな木漏れ日は嫌だ」みたいな、若者の軽いノリみたいなものをぶつけたら面白いなと思って作りました。
正直に手を挙げなさい先生のかっぱえびせんにニス塗った人
これもいいですよね。前半はよく聞く表現なのに、最後で急にありえない事象が起きています。
“正直に手を挙げなさい”までは、すごくステレオタイプな言い回しですよね。
これは、笹先生が武田鉄矢と対談されたときの話が元になっています。
武田鉄矢は『刑事物語』でハンガーをヌンチャクにして戦っていたんですが、それにちなんで笹先生が、木製のヌンチャクを持っていって、「これにサインしてください!」ってお願いしたんですよ。ただ、そのサインが水性マジックだったので、消えないように翌日、ニスを塗ったんですよ。それでも滲んじゃって、結局セロハンテープを巻き付けたっていう(笑)。
“ニスを塗る”って、やべーなって。“ニスを塗る”って(笑)。
それで、「何にニスを塗ったら一番面白いだろう、食べ物だったらやだな」で、最終的に“かっぱえびせん”になりました。
やっぱり固有名詞って強いので。
失われつつある日本の美意識がこのケバブには感じられます
先ほどの、かっぱえびせん同様、よくある言葉を、よくわからない対象にぶつける面白さがありますよね。“何かを言っているようで何も言っていない”って感じがすごくいいです。
“ケバブ”って、絶対に日本の美意識ではないじゃないですか。その違和感が印象に残る短歌だなと思います。
“失われつつある日本の美意識”って、よく使われる言葉ですよね。
その言葉が目に留まって、これをひねったら面白くなるなと思ったんです。
あとは、“この○○には感じられます”の○○に何を入れるか、セルフ大喜利みたいに考えていきました。
3文字か4文字くらいの言葉をいくつか当てはめていったんですが、その中で“ケバブ”が一番、日本の美意識から離れている感じがしたんです。
ほかにも“パピコ”なども考えたんですが、それだと逆に「何味なんだろう」みたいな方向に意識が向いてしまう気がして。
いろいろ考えた結果、“ケバブ”にしました。
回らない寿司がありなら回らない俺もありだな理論上はな
この短歌は、先ほどとは逆で、後ろにくる“理論上はな”がよく聞く表現になっていますよね。
この“理論上はな”は、真面目なのになんだかくだけた雰囲気があって、前の言葉との相性も良くて笑ってしまいました。
実はこれ、ほぼ僕の実際の発言なんです。
飲み会で、敢えて先輩ヅラするノリのターンがあって。そこでなんかかましたろう思って、「回らない寿司がありなら、回らない俺もありだよな。理論上はな」みたいに言ったんです。
それをほぼそのまま短歌にしました。
ちなみに『俺のこの背中に掘ったPayPayのコード読み取れ 恵んでください』という短歌も、実際の僕の発言です。
もちろん背中には掘っていないんですけど(笑)、そうやってパッと口にしたことを短歌にすることもありますね。
ストローで退屈を吸い込む彼はこんな商品を買っています
Amazonとかで出てくる“こんな商品を買っています”という言葉を短歌にしたら面白いんじゃないかなと思ったんです。
“どんな人が、どんな商品を買っているのか”を想像させる形にしたくて。
そのとき喫茶店にいたんですが、窓辺でぼんやりスマートフォンをいじっている青年がいて。その人の“こんな商品を買っています”が見えたらちょっとエモいなと思ったんです。
電柱を百本育てし祖父を持ちその一柱の陰に棲む我
“電柱を百本育てた祖父”という発想が、どこから生まれたのか気になります。
最初に、“電柱の陰に棲んでいる男”を描きたかったんです。
じゃあ、その人はどういう背景を持っていたら、鬱屈した人物像になるんだろうと考えたときに、“電柱を育てた祖父”みたいな存在がいたら、すごくこじらせそうだな、ひねくれそうだなと思って。
僕は根暗な人間なので(笑)、人の闇につながるような部分にはすごく興味があるんです。
じいちゃんは川の様子を見に行ったそしてそのままピエロになった
先ほどの作品同様、今作に登場する“じいちゃん”って、結構変な目に遭いますよね。
この短歌も、“川の様子を見に行った”まではよく聞く流れなのに、そのあと“ピエロになった”と続くのが面白いです。いったい何があったんだろう、と気になります。
川の様子を見に行って、そのまま亡くなってしまうおじいちゃんって、よくいるじゃないですか。
それを、「どんな形で帰ってきたら一番やばいだろう」と考えたんです。
これまた大喜利的な発想で、ピエロになって帰ってきたら、トンデモないなと。
Chapter 5 メッセージ


白石ポピーさんにとって、“ことば”とはどのような存在でしょうか。
“楽しき玩具”ですね。
……まあ、石川啄木の『悲しき玩具』にかけてみたわけですが。もちろん、言葉はコミュニケーションのためのツールでもあります。でも、それだけじゃなくて、言葉そのものの面白さでいくらでも遊ぶことができる。
その面白さを、なるべく遊び尽くしてあげることが、創作活動の醍醐味なんじゃないかなと思っています。

これからの挑戦者へ、メッセージをお願いします。
他人からの評価に一喜一憂せず、自分が面白いと思うものを、無頓着に関心を持って摂取していくことが大事なんじゃないかなと思います。
そうやって蓄積されたものは、自然と好いアウトプットにつながっていきますから。
僕自身、そういう人の作品こそぜひ読んでみたいですし、自分もそうありたいと思っています。
そして、そうやって自分なりに練り上げた感覚を、この歌集には詰め込んだつもりです。
なので、まずはこの歌集をぜひ読んでいただくところから始めていただきたいですね(笑)。
Chapter 6 インフォメーション

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書籍情報

歌集『遠距離チャーハン』
2026年6月1日一般発売開始。各書店・通販サイトにて予約受付中。
https://shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/9784305710789