200年前の京都中をパニックに陥れた!? アマビエの影で忘れ去られた謎の妖怪・酒売りババアの恐怖と、大田南畝の呪文【絶滅危惧怪異ファイル#1】

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200年前の京都中をパニックに陥れた!? アマビエの影で忘れ去られた謎の妖怪・酒売りババアの恐怖と、大田南畝の呪文【絶滅危惧怪異ファイル#1】

忘れ去られた妖怪「酒売りババア」

酒売りババアのイメージ(Geminiで生成)

その老婆は、酒を売るのではなく、災厄を配っていた――。

かつて京都中をパニックに陥れた「酒を売りつける怪しい老婆」の存在。その詳細を今この瞬間に語れる者は、おそらくこの国にはほとんど残っていないことだろう。

疫病にまつわる妖怪といえば、コロナ禍に大流行した「アマビエ」が記憶に新しい。しかし歴史の影には、アマビエのようには語り継がれず、忘れ去られてしまった怪異が数多く存在する。

もっとも、今回紹介する「酒売りババア」は、アマビエのようなありがたい救済者ではない。人々に恐れられ、排除されようとした、純然たる災厄そのものだ

【絶滅危惧怪異ファイル】No.01:酒売りババア

呼称:酒売るおうな 、酒売るうばなど

怪異タイプ:怪人(老婆型)

主な目撃地: 京都

時代:江戸時代後期

カテゴリー: 野生絶滅

カテゴリー(略称)生息状況(本連載における独自定義)
絶滅(EX)文献すら残っておらず、人類の歴史から完全に消え去った怪異。本ファイルでも追跡不可能。
野生絶滅(EW)一般の記憶からはほぼ完全に消滅しているが、古い文献や資料データベースにのみ痕跡が残っている状態。
絶滅危惧Ⅰ類(CR+EN)ネットの深海に数件の足跡があるのみ。コアな民俗学者や、ごく一部のオカルトマニアの脳内にのみ、辛うじて生存が確認できるレベル。
絶滅危惧Ⅱ類(VU)一般知名度は低いが、Wikipediaや一部のまとめサイトに個体が確認できる状態。
準絶滅危惧(NT)昭和〜平成の怪談ブーム時は野生に溢れていたが、令和のZ世代・α世代へのバトンタッチに失敗し、じわじわ生息数を減らしている怪異。

200年前に流行した恐怖

それは今から200年ほど前、文政3(1820)年の4月の初めごろの話。

その頃、京都の町では異様な光景が見られた。至る所の門口に「上酒有り」という奇妙な貼り紙が出現したのだ。

奇妙な貼り紙のイメージ

噂の主は、ひとりの怪しい老婆。

「薄汚れた老婆が酒を売り歩いており、その酒を買えば必ず重い病にかかり、買わずとも門口に来られるだけで災難に遭う。だが、『上酒有り(ここにはもう良い酒がある)』と書いておけば老婆は素通りする」――。

なんとも迷惑な老婆である。


誰が言い出したとも知れぬこの噂は、瞬く間に京都中をパニックに陥れた。身分の高い武家屋敷から庶民の長屋まで、町中のあらゆる門にこの紙が貼られたのだという。

魔よけの呪文に見る、南畝のユーモア

このパニックの最中、京都に滞在していたのが江戸を代表する文化人・大田南畝(おおたなんぽ、1749-1823)だ。

大田南畝の肖像画
徳齋原義正道 [著]『先哲像傳』第3冊,[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2551754 (参照 2026-05-28)

希代の皮肉屋でもあった彼は、この騒動を面白がり、自らの門にも一種のパロディとして呪文を貼らせたそうだ。

その内容は『有酒如池 有肉如坡 謹謝妖婆 勿過我家(訳:酒は池のように肉は丘のようにある、怪しい老婆よ、丁寧にお断りするから我が家を通り過ぎてくれ)』というものだった。この漢文には、当時の教養を活用したブラックジョークが含まれている。

南畝のユーモアが詰まった貼り紙のイメージ

前半の二行『有酒如池 有肉如坡』は、古代中国の暴君・紂王(ちゅうおう)の贅沢を象徴する故事成語「酒池肉林(しゅちにくりん)」を元ネタにしている。

庶民が「上等な酒はもう家にある(から他所へ行け)」というささやかな嘘を門に貼ったのに対して、南畝は「我が家には酒が池のようにあり、肉は丘のように積みあがっている」と、圧倒的なホラをぶち上げた。過剰なまでの誇張で返して見せる、このスケールの大きさが、江戸っ子らしい粋(いき)を体現している。

次に、後半『謹謝妖婆 勿過我家』の言葉選びについて。「謹謝(きんしゃ)は本来、目上の相手や客に対して「謹んでお断りする」という最上級の敬語だ。不気味な疫病神に対し、あえて過剰に丁寧な言葉を使うことで相手を馬鹿にしているのだ。恐怖をおちょくりで塗りつぶす。南畝ならではのユーモアだ。


噂は広がるうちに姿を変える

興味深いのは、この噂の変質だ。

後日談によれば、この噂の源流は大阪(難波)にあった。大坂では「老婆が来ると天然痘になる」と騒がれ、魔よけの「赤い紙」を貼っていたという。

ところが、京都に伝わる過程でいつの間にか「流行病」へと内容が書き換えられ、紙の色も「白」へと内容が書き換わってしまったのだ。――広がるうちに変質していく。都市伝説が伝播されていく過程を体現している面白い事例と言えよう。

「人の心の脆さ」は、今も昔も変わらない

このエピソードは、江戸時代の医師・国学者である清水浜臣(しみずはまおみ、1776-1824)が記した旅日記『遊京漫録(ゆうきょうまんろく)』から参照したものである。なお、作中では「酒うるおうな」や「酒うるうば」という名称で登場する(「酒売りババア」という呼称は、筆者が現代風に呼び変えたものである)。

清水浜臣は、以下のような内容で締めくくっている。

「根も葉もないデマを気にするべきではないが、他人の言動に惑わされやすい人の心ほど、はかなく脆いものはない」


現代のSNSで拡散されるフェイクニュースやパニックも、220年前の「酒売りババア」と本質は何も変わっていない。情報の波に呑まれ、形を変えた恐怖に踊らされる私たちの脆さは、江戸時代から地続きのままなのである。

参照

  • 清水浜臣『遊京漫録』(『日本随筆大成』第2期第9巻所収)
  • 国際日本文化研究センター(日文研)「怪異・妖怪伝承データベース」

酒賣る媼 | サケウルオウナ | 怪異・妖怪伝承データベース

※今回の調査の端緒として参照

「絶滅危惧怪異ファイル」について

今回紹介した「酒売りババア」も、かつては現代の「口裂け女」や「トイレの花子さん」、「きさらぎ駅」などと同様、人々に噂され、その存在を確かに認知されていた。しかし、時の流れは残酷だ。かつて京都中を震撼させたはずの怪異も、今や歴史の闇に埋もれ、完全に忘れ去られようとしている。

人々に認知されなくなること。それは怪異にとって、死と同義と言っても過言ではないだろう。

筆者は、こうした消失の危機にある怪異を「絶滅危惧怪異」と呼び、それらに今一度日の目を見せたいと考えている。本記事をその第一弾とし、これから順次、歴史の影に隠れた奇妙な存在たちを紹介していくつもりだ。

次は、あなたの住む町のすぐ隣に眠る、忘れ去られた恐怖を呼び覚ますことになるかもしれない。

ライター:永井四不像

番外編4コマ:酒売りババアの恐怖!?(PR)

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