淀壁から万博、そして十三へ ― シグネチャーのBAKI柄で縦横無尽に活動する壁画アーティストBAKIBAKI

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淀壁から万博、そして十三へ ― シグネチャーのBAKI柄で縦横無尽に活動する壁画アーティストBAKIBAKI

アートの分野でチャレンジし続ける人を紹介するシリーズ。第一回目は伝統とモダンを融合させた「BAKI柄」で世界中を駆け回る壁画アーティストBAKIBAKI(バキバキ)。コロナ禍をきっかけに地元である十三の町の景色を変えていくプロジェクト「淀壁(よどかべ)」を始動し、世界中の人々が集う大博覧会、「EXPO 2025 大阪・関西万博」への参加、そして現在ーーー。これまでの活動から、今取り組んでいる壁画の移設プロジェクト、これから取り組もうとしている新しいチャレンジについてお話を伺いました。

十三のスタジオにて、COOK, TITI FREAKとの制作風景

淀壁からEXPO 2025 大阪・関西万博、その後ーーー。アンダーグラウンドなカルチャーを軸にしながら、町に開かれた壁画を通して人と場をつなぎ、表現と地域、個人と社会のバランスを大切にする大阪の壁画アーティスト、BAKIBAKI(バキバキ)。壁画の移設プロジェクトが佳境の中、インタビューの時間を作って頂きました。

ー本日はよろしくお願いします。

BAKIBAKIです。壁画をメインに活動しているアーティストで、自分のシグネチャーであるBAKI柄の模様でアパレルなどともコラボしています。中心は壁画で、軸足はアンダーグラウンド。サブカルチャーやクラブカルチャー、音楽やDJ文化がテーマです。

いわゆるハイアートではなく、大衆芸術。町を歩く人が自然に見られるアートの流れですね。さかのぼると浮世絵、現代だったら漫画、その中の延長上に自分の活動があり、そのフォーマットが壁画かなと思ってます。

ー「壁画」アーティストなんですね。グラフィティーやストリート、ミューラル、いろいろな言い方があるじゃないですか。

自分の活動は、クラブでのライブペインティングなどアンダーグラウンドから始まり、近年は大阪万博への参加などオーバーグラウンドな場に広がってきました。なので、大きな意味での「壁画」という言葉がしっくりきています。

ー大阪の淀川区で、2021年にスタートした壁画プロジェクト、略して「淀壁(よどかべ)」プロジェクトをされていますよね。

コロナの時期に淀川区役所の前に壁画を描く機会をいただいて。医療従事者への敬意というテーマで、ナイチンゲールを描いた。

BAKIBAKIが描いたクリミアの天使”ナイチンゲール”

コロナでどこも行けないし、仕事も来ないという状況。世界中のつながりのあるアーティストの壁画が、淀川のこの町に生まれて、壁画を巡れたり、町を活性化していけるような取り組みができたらいいなと思ったのが、淀壁構想につながっていって。2025年、去年の万博までに30壁画やるぞということを目指して、紆余曲折ありながらも、31壁画を淀壁として残せて、一旦一区切りしたという状況ですね。

ー地元だから始めたのですか。

ファンダンゴというライブハウスに通ってましたが、僕自身は大阪の吹田で生まれ、20歳から京都で学生、30代は東京で過ごし、壁画で海外などいろんな所にお呼ばれって感じだったんです。淀川区には祖父の鉄工所があり、40代で戻ってきました。住むほどに愛着が湧き、町に還元したい気持ちが芽生えたのが大きいです。やりだしたら自分なりの手応えがあって、やり続けています。子供の頃の十三は、ちょっと柄の悪いイメージがあったしっていう感じですね。

1987年から2019年まで「ファンタンゴ(馬鹿騒ぎ)」していたインディーズシーンの聖地、外壁は移転前にYuh Takuno と描いたコラボ壁画

ーBAKIBAKIさんご自身も小さい時はヤンチャだったのですか。

不良というより漫画を真似して描く子でした。ジャンプを月曜に読んで火曜はそれを空で描いていたタイプ。ヤンキーにもオタクにもなりきれず、スポーツも勉強も普通にしていて。

ーバランスよく生きてきたと。

ひらたく言えば器用貧乏というかね。何でも描けるけど、伝えたいことが明確にはないみたいな時期もずっとあった。だから絵に関しても美術の大学入ってからも、そういう自己表現みたいなのを知ったのも大学入った後。卒業しても気づいてないぐらい。

ーその頃に今のスタイルに。

20代前半のそういうありがちな悩む時期に、BAKI柄ってものが生まれて。その時、自分がこれをずっと描き続けていくと感覚的に思ったことがあって。裏ではというか、ずっとBAKI柄だけは描き続けてたら、今の状況になった。

ー今までを振り返ってこれは面白いっていうか、きっかけになるような作品ってありますか。

学生の時、スタジオボイスとかのカルチャー誌の情報に影響を受けてて。DELTA(デルタ)っていうアムステルダムのストリートアーティストが、日本のガンダムの配色とかを活かして、グラフィティっていうかレターを描いたりしてて。いわゆる日本発のカルチャーと欧米のグラフィティっていうものが混ざって、かっこいいなと思えた。一つの参照点かなと思いました。

DELTAは、現代アーティストの現場では本名のBoris Tellegen(ボリス・テレジェン)の名でも知られている

ー淀壁のプロジェクトをしていく上で、町の人とのネゴシエーションやアーティストのサポートは難しくないのですか。

一番のつらい事って、近隣住民から「壁画を消せ」って言われることじゃないですか。そういうことは全くないんですね。プロのアーティストにボランティアとはいえ、代表作を残していくように働きかけるし、手伝うし。クオリティを担保することで苦情を減らせてると信じてますかね。

「町に壁画を描く」ってことは、僕は少なからずおこがましいことだと思ってるんですね。人の日常の景色を塗り替えるわけなんで。淀壁の絵って主張や自由度が高いものなので、町のケアは常に意識しています。一緒に組んでいるウォールシェアという会社の存在も大きいです。

過去に「うちの車の屋根にペンキ付いてる〜!」とか、作業車のセンサー音がピッピッって鳴ったりするんですけど「音がうるさい!」ってスリッパ掴んで乗り込んできたおばちゃんがいたりとかあるけど(笑)。

ー壁を提供してくれるオーナーは事前に絵の内容を知っているのですか。

オーナーのほとんどっていうか、町の人もアートのことも知らない状況ではあるけど、町を壁画で盛り上げていきたいんで、壁を提供してください、キャンバスとして。描く費用もいただかないので、自由に描くみたいな。そういう話でスタートしました。

ー内容を知らないで外壁を提供するなんて、大阪の懐の広さを感じますね。

大阪はパブリックアートとの親和性が高く、それが盛り上がっている理由だと思います。

EXPO 2025 大阪・関西万博の西ゲート近くに描かれた『希望の系譜』

ーどうやって淀壁からEXPO 2025 大阪・関西万博へと関わっていったのですか。

自分は70年万博の吹田の太陽の塔の近くで生まれ、万博に対する思いが人より強い方でした。関わりとしては、大阪のSTUDYというアートプロジェクトと淀壁の関係で知り合い、自分からの働きかけもあって、万博で壁を提供していただいて。いざ描き出したらこっちのもんというか。

そういう意味でやりたいことをすべて詰め込めた壁。自分の人生、キャリアの中でも一つの節目だと思ってたし、その舞台で描けることへのモチベーションに見合った作品を残せ、すごい達成感と一つの到達点みたいなものを自分の中で感じてますね。

ー万博で描きたいという思いは元々あったのですね。

ありました。今を生きるアーティストとして、万博という舞台に作品を残したかった。次の世代に何かを渡したいという気持ちもありました。

様々な手法を使って描かれている『希望の系譜』の制作風景

ー当時はミューラルアートが万博内にあっていいのか問題、みたいなものがあったじゃないですか。ストリート系では万博内は違うという人と、大きな権力の場で表現することもストリートのやり方としては正しい、みたいな。

自分はストリートアーティストですが、かなりパブリック寄りです。ただ迎合はせず、作品に国家プロジェクトの矛盾なども忍ばせています。

例えば壁画の中に出てくる自分のキャラクターでヘルメットに「反反博」って書いてるんですけど、そのキャラクターが空調服を着ていたり。自分も描く時にそういう現場のおっちゃんの格好して描くんですけど。

キラキラした万博っていう煌めいたものの裏には、現場のおっちゃんの汗と涙があったり、未払い問題とか、光と闇みたいなものが国家プロジェクトの中にはあって。両手を挙げて賛同しているわけではなく、自分の目線で描いています。

「反反博」ヘルメットの空調服キャラクター。胸には淀川区のキャラクター「夢ちゃん」もチラ見え

ー現在取り組んでいる壁画移設プロジェクトについて教えてください。

万博終了後に解体される壁画を、十三のホテル、プラザオーサカに移設します。費用はクラウドファンディングで募っています。

ー移設の動きは早かったですよね。万博が始まる時から残すつもりで動いていたのですか。

その時から思ってました、みたいな大袈裟なことは言えないですけど、太陽の塔が今も残っていることが意識の下地にありましたし、淀壁から万博、再び淀壁というストーリーを描いていました。最後に十三に戻ってくるのは最高やなというか。いつでも誰でもまた見れて、十三に行けばあるわっていう。

ークラファンの反応はいかがですか。

万博ファンや万博ロスの方々からの支援が多く、その人たちのすごいあったかいメッセージも拝見して、改めてその万博ってものの影響力と、僕のあの壁画を見せさてっていう形で賛同していただいている人がいる状況っていう意味では、すごい本当にありがたい状況になっていますね。

ー本来は解体される壁。その移設は制度や資金を始め様々な面で苦労が多いと思います。BAKIBAKIさんは壁を移設することで何と向き合っているのでしょうか。

自分の作品を残したいというエゴも否定しませんが、パブリックに開かれ、次の世代に何か残る作品を作りたいという思いです。移設が淀壁や十三の再評価につながればと思っています。

移設風景。パーツごとに切り分けて分割して運ぶ繊細な作業

万博という、ある種権威の象徴みたいな場で制作した壁画だけど、それをパブリックに開放したい。それが次の世代、もっと長い尺度で、太陽の塔とかできて50年以上経ってると、それぐらいの尺度で自分の子供や次の世代に残して、何か伝わる普遍性みたいなものが作品の中にあればいいなという思いで作ったので。

壁の移設っていうのは自分も初めてやし、それが淀壁や十三にとって一種の起爆剤になって、巡ってくれる人が増えてくれたらいいし、これからやることにもそれが繋がっていけばいい。社会全体にそれが溶け込んで、さらに壁画の街というフェーズを上げ、ステージを上げれるようなファクターになればいいなという思いですね。

ー作品が残ることと、人の中に残ることの違いについて教えてください。

自分の中では同じです。作品は描いて完成ではなく、人が交わり、思い出や記憶になったときに完成する。消えた壁画も人の記憶には残る。ライブペイントは刹那の美、壁画は「残す」ことがステータス。

人類史の壁画を振り返っても、ラスコーの壁画やベルリンの壁だとか、天変地異で変わっても物質として、瓦礫として、破片でも残る可能性はある。そういう意味で、信用している部分もあるし。物質的な壁の魅力、エネルギーってものは、人間とか人類とか社会にとっての意味も含め、壁ってものに魅了されている一人ではあるかなと。

ー直近の5年後、10年後のビジョンは。

正直、2025年で一度人生設計は止まっていましたが、今は再構築中です。これから5年は、十三の町と壁画をつなぐ文化的な場づくりに力を入れたいと思っています。

ーBarを開く、場を開く計画もあるそうですね。

バーを開く。バーというかサロンというか、そういう場を十三につくります。壁画を増やすだけでは町づくりにつながらないと感じ、挑戦しています。とはいえ自分も本業の絵の仕事で家族を養っているんでいろんなバランスはあるんですけど。失敗するかもしれませんが、40代後半ならまだ失敗できる。みんなで作り上げたいです。

淀壁プロジェクトの一つ。中央はNYのDragon76(ドラゴンナナロク)、左はLAのLauren YS(ローレン ワイエス)、右は写真では見えづらいが東京のGravityfree(グラビティフリー)、そしてBAKI柄も走る壁画、この建物の2階に2026年春にBAR を開業予定

現場・人・町との協働し、残り続ける作品と同時に、人の記憶に残る体験をつくろうとするBAKIBAKI。誠実でロマンチックでありながら現実的でもあり、ローカルへの愛情が深い人というのがインタビューから垣間見れました。クラファンも佳境、バーのオープンも2026年春を予定しているそうなので、気になる人、一緒に何か作り上げたい人はチェックしてみてください!

WEBSITE:
https://bakibaking.com/

Instagram:
https://www.instagram.com/bakibaking/

クラファンサイト
「万博の感動を未来へ!西ゲート壁画『希望の系譜』移設プロジェクト」:
https://readyfor.jp/projects/kibounokeifu

ライター紹介

ユミソン
京都・東京が拠点のアーティスト/キュレーター/ライター。インスタレーションをはじめとする現代美術作品を手掛け、社会や空間との関係を問い直す表現を追求している。企画・ワークショップ・展覧会のキュレーションも行い、多様な文脈でアートの可能性を探る実践を続けている。

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