皆さんはじめまして。野球が大好きなシオマルです!
さて野球を愛する皆さん。女子野球の歴史や現状をご存知でしょうか。
周囲から引かれるレベルの野球狂いである私は、「女子野球の記事が書きたい!」という野望を抱いて、1年前にわかさ生活に転職。
といっても、すでに女子プロ野球機構の活動を休止している弊社。どうにかチャンスはないかと虎視眈々と狙っていたところに、女子高生たちの甲子園決勝が「キセキ」の対戦カードで実施されることに。
第29回 全国高等学校女子硬式野球選手権大会
岐阜第一高校(岐阜)対 福知山成美高校(京都)の決勝戦

この試合は「ある男」にとって、そして「ある男」の軌跡を知るひとたちにとって、とてもとても大きな意味をもつ試合でした。
意気揚々と職権を乱用し会社のnoteアカウントで女子野球について語ったら、その日の晩に「DEKIRU!」編集長から電話がかかってきました。
「野球狂いをDEKIRU!で存分に発揮してください!」
こうして、私、シオマルの野球連載がスタートすることになりました。
なぜ私がわかさ生活に入社したのか、ある男とは一体誰なのか、なぜ第29回大会決勝が「キセキ」の対戦カードといえるのか。
もし気になる方がいたら、ぜひnoteを読んでいただきたいです。
女子野球の情報が少ない現状に、シオマルが立ち上がる!
私はそもそも野球をプレーすることが好きで、野球を観ることも大好きで、その好きには男女や年齢、プロアマの境はありません。
なので、プロ野球の情報を追いかけるのと同じように、女子野球についての情報もよく検索しています。
でも、本当に情報が少ない。選手について知りたくても、魅力が伝わるような記事を見つけられることは滅多にないし、試合の情報も、端的に試合の流れや結果を伝えるのみにとどめているものが多いように感じます。
自分で記事を書けるなら、もっと選手についてフォーカスしたい。
女子野球というまだ狭い世界の中で、どうやって道を切り拓いてきたのか、それぞれのストーリーを発信し、未来の女子野球選手たちの夢を広げたい。
そんな想いで、この連載を続けていきたいと考えています。
野球との出会い
かくいう私がどうしてこんなに野球を好きになったのか。
私と野球との出会いについて少しお話させてください。
私は小学校の頃から、毎日別の習い事に通っていました。
塾、英語、そろばん、ピアノ、体操、陸上、水泳、サッカー……
勉強は好きだったのですが、スポーツはどれも特段どれかにハマることなく、何となく過ごしていたのを覚えています。
それでも器用貧乏なのか、どのスポーツも平均以上はこなせました。だからどれも自主的に練習はしない。楽しい!という気持ちで通っていない。
特にサッカーは、サッカーが大好きな母親の影響で女子チームに入った経緯もあり「上手くなること」や「自主練習」を強いられているような感覚がありました。
母に叱られつつも練習をサボり始め、1年ほど経ってさすがにチームを辞めることに。
小さい頃から生意気だった私は、サッカーから離れたあとも、親に反発したい一心で「サッカーと逆のことをしてやる!」と思い立ち、小学校の野球チームに所属している友だちに頼んで、母に黙って休日に練習体験に行きます。
その日は小学校の運動場で練習試合があり、なんと試合の終盤に代打で出場させてもらえたんです。
親への反抗で衝動的に体験に来たものですから、野球のルールも知らないし、バットの持ち方も分かりません。それでも、私服のジャージにブカブカのヘルメットを装着し、見様見真似で打席に立ちます。
もちろんストライク、ボールの判断もつかないので初球から思いっきり振ってみたら……
― セカンドの頭を越えるヒットを打ってしまいました。
ルールを知らないため、そのあとすぐに牽制アウトになるのですが(笑)。
そのとき感じた「野球って楽しい」という気持ちは今でもよく覚えています。

それまで色々なスポーツを経験していましたが、バットでボールを打ったとき、みんなに応援されながら走ったとき、ボールを投げたとき、ボールを捕ったとき……そのすべてがこれまでにないほど楽しくて、本当にキラキラした時間に感じたのです。
何となくやってみた、姉がやっているからやってみたのではなく、自分から明確に「やりたい!」と思ったのは人生で初めてだったかもしれません。
当時、私は女の子だから野球はできないという考えは一切なく、「野球が楽しい、野球が上手になりたい!」。その一心で親を説得し始めます。
野球を続けることの難しさ
私の家庭は母子家庭で、経済的に決して楽な環境ではありませんでしたが、母は子供がやりたいということに関しては積極的に援助してくれました。
しかし、なぜか野球だけは違いました。
「野球は女の子には危ない」
「野球をやっても未来がない」
「道具は高いし、親の当番も大変だからできない」
そんな言葉を母から聞いたような気がします。
サッカーなら喜んでやらせてくれたのに、野球はなぜか道が塞がれる。
当時の私は負けん気が強すぎて、母の反対にも
「じゃあ、おにぎりも水筒も、野球の準備も全部自分でするから!」
「ユニフォームや道具も誰かにもらってくるから!」
と言って道具を揃え、結局母が根負けし、チームに入れてもらえることになりました。当時小学3年生。本当にやりたいことを諦めたくない気持ちが、野球への門を開いてくれたのです。
何か魅力に感じるものがあったら、それに挑戦する。
それがサッカーであっても、体操でもゴルフでも水泳でも何でも。
他のメジャースポーツでは、そこに男女の境はほとんどありません。
でも野球だけは、未だに女の子たちにとってハードルの高い競技なのです。
理由は沢山あると思いますが、子どもが何かに挑戦するとき、一番大切なのは「周りの環境」だと思います。
その「周りの環境」が徐々に変わり始めている、そう感じさせてくれたのが、冒頭にかいた「第29回 全国高等学校女子硬式野球選手権大会」でした。
お母さんとキャッチボール
2025年8月2日の大会当日、甲子園駅前には、沢山の女の子たちがいました。
小麦色に焼けた肌を見るに、きっと未来の女子野球を支える少女たち。
そして彼女たちの周りには、子どもたちの夢を懸命に応援する親御さんたちの姿がありました。
こんなに暑い夏の休日に、甲子園を見せてあげようと同行してくれる。
きっと普段から野球の練習にも付き合ってくれているんだろうな、などと考えながら、入場門へ進みました。

甲子園球場に入ると、キラキラした目でフェンスの先の選手たちを見つめる大勢の人たちの姿が目に入りました。甲子園という舞台は、やはりみんなの憧れを生む場所なのだと実感させられます。
女子高生たちの決勝戦が甲子園でできるようになったのは、2021年。
まだ5年目ですが、甲子園を目指せること、目標ができることによる効果は計り知れません。「甲子園に行きたい!」という気持ちがチームの結束力に繋がり、チームはどんどん強くなるのです。
その影響なのか、各選手のレベルが格段に上がってきています。
まず身体の仕上がり方が数年前の高校生とは段違いですし、立ち居振る舞いもプロさながら。肩が強いから、外野手の守備位置が男子と変わらない。
打撃でも、当たり前のように外野の深いところまでボールを運びます。
スポーツに男女は関係ないのだと、女の子でも野球を全力で楽しんでいいのだと、プレーで証明してくれました。
彼女たちは、野球ができる環境が整ってきている世代です。女子硬式野球部も全国に普及し、練習試合も互いに組み、切磋琢磨しながら甲子園を目指すことができる。
そして高いレベルの野球を経験した女性たちが、指導者となり、母となっている。
大会の閉会式での連盟関係者の挨拶が印象に残っています。
「今大会では、過去に大会に出場した選手のお子さんが出場している、といった嬉しい知らせもありました。まさに“お母さんとキャッチボール”。野球を経験した女の子たちがお母さんになり、自分の子どもに野球の魅力を伝えていく時代になったと実感しています。」
お母さんとして、指導者として、みんなの憧れとして、野球を伝えられる人が増えていくこと。それは、資金援助よりも未来に繋がる力を持っているのだと痛感した瞬間でした。
最後に
私は野球をプレーすることは諦めてしまったけれど、野球が好きな気持ちはずっと変わっていません。今大会の観戦を経て、自分も「伝えること」で、女子野球界に貢献したいという熱が一層高まりました。まだまだ情報が少ない女子野球の世界だからこそ、伝える意味があると信じています。
プレーヤーが増え、指導者が増え、人気が増え……いつかまた女子野球の世界にプロリーグができることを願って、走り続けていきます!